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2011.07.06
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カテゴリ:神秘学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第150話 「呪い代行」

 人を呪殺すると殺人罪になるのかどうか?に関しては、国や地域、あるいは時代によって判決が異なっているのですが、日本では”人を呪殺することはできない→したがって呪殺が成立しない”といった、科学的な見解というか常識があるためか、呪殺を行った!と主張しただけでは殺人罪に問われることは無いようです。

 つまり、具体的にというか、物理的に何らかの手段を用いて生命活動を停止させれば殺人罪が成立しても、何らかの物理的な接触が無く、単に遠く離れた地で呪文を唱えたり、怪しげな儀式をしただけで人が死ぬことはありえないとでもいったことになっているわけです。

 ま、確かに、呪文を唱えたり怪しげな儀式を何年も何年も繰り返した果てに呪殺に成功した!と言われても説得力に乏しく、一定の期間が経過すれば、その間に、病気や事故で落命する人が一定の確率で生じることは生命保険の資料などでも証明されている現実の一こまに過ぎないわけです。

 その意味で、呪殺というのは、特定の症状で、依頼から一定の期間の内に、対象となった人物だけが死亡して、やっと”もしかしたら ・・・”と疑われる程度の話であり、再現性がどれくらいあるか?が問われるところもあるのではないかと考えてしまいます。

 呪殺って可能なのですか?と聞かれれば、見ず知らずの赤の他人を呪殺したがる性癖の人が長生きできるとも思えませんし、”人を呪わば穴二つ”というのも一面の真理ですから、仮に呪殺が可能な能力者がいたとしても、端金でそういった因縁を背負い込むとも思えません。

 あっさり書けば、人を呪殺できるほどの能力者ならば、もっと簡単に他のことでより高額の金を稼ぐことが可能ということで、TVドラマで言えば仕事人とか仕掛け人のような一種の必要悪として存在するかどうか?といった話になるのではなかろうか?

 ただ、恨みや憂さを晴らすという観点からすれば、”簡単に殺したのでいいの?”という気がしないでもなく、”死なせないで奈落の底へ突き落とし続けて辛酸を舐めさせる”方が少なくとも怨みを晴らすという点では、呪詛を行う人にとっても殺人というタブーを回避できますから、ベターな選択ではなかろうか?

 ちなみに、現実社会でもネット上でも 呪殺などの呪い代行サービスは盛況のようで、自称・呪術の専門家ないし、そういった専門家にツテがあるとする人が一定の金額で依頼を受け、依頼者に代わって呪詛を行っている ・・・ ようです。

 ようですというのは、私が依頼したこともなければ依頼されたこともないからですが、インターネットが普及しはじめた20世紀末の段階で既に、呪いの藁人形セットがネット通販されるようになっていましたし、怪しい話でも何度か取り上げた”丑の刻参り”を実際に行うときの、まとめサイトの類も増殖の一途を辿っていますしねえ?

 もちろん、西洋魔術(といっても流派が幾つかあるのですが)をベース(というあたりで私は眉唾な気がしますが)にしていると主張し、”悪霊を呼び出し”て”依頼を完遂する”といった ・・・ そんなことができるのなら世界征服を目論んだ方が現実的な気がしないでもないハイレベルな主張を繰り広げるサイトなどなど、何でもありの状況になっています。

 問題は、”ひとり隠れんぼ”のような洒落にならない事例もネット経由で拡散していったことで、それこそ、写真一枚あれば理論上は呪詛の類が可能なだけに、いろいろな意味で”ええんかいな?”と思わないでもありません。

 ちなみに、呪詛の打ち返しはさほど難しいものではないのですが、打ち返しの打ち返しといったループが形成されて千日手になることもままあるようですし、呪詛絡みの話はケースバイケースの解決が必要な事が多い上に、他人の因縁に関わってもハイリスクなだけでろくな事にならない事例の方が多いだけに、”プロがネットで依頼を募集するかねえ?”という気がしますが?

 もちろん、呪詛や呪殺といった物騒な委託だけでなく、縁結びや良縁招来、商売繁盛や就職成功などなど、かってはその辺の寺社仏閣が独占していた祈願の類もネットで引き受けているケースが増殖中のようですし、寺社仏閣が公式HPを運営してネット上で依頼を受け付けたりグッズ販売の類に乗り出すのも時間の問題というか、既に始まっているようです。

 ネット参拝はかなり早い時期から開始されていましたし、墓参りをネット(カメラ)経由で行う施設が話題になって久しく、高齢や多忙のため遠隔地の”先祖代々の墓所”への墓参が難しくなった人から依頼されて墓参りの代行をする商売が成立している時代ですから、呪詛の類にハイテク化の波が押し寄せていてもさほど不思議とも思いはしませんが ・・・。

 逆に言えば、もはや、呪詛の類は、一昔前の電子メールに添付されているウイルスと似たような存在になりつつあるということで、無差別に呪詛が発動していても不思議で無い御時世だけに、自動防御とでもいいましょうか?ゴキブリホイホイ的な自立型防衛システムを作動させておいた方が無難な時代になっているかもしれません。

 一番、シンプルな仕掛けは玄関など気の通り道の”門”にあたる部分への”塩盛り”ですが、一度、折り紙を使った”塩盛り”の仕方を教えたときに、数日後に器の中の荒塩が”塩水”になっていたケースがありましたが、ま、そういったケースはかなりレアで、だいたい風通しを良くしてマメに掃除をする程度で不特定多数を対象とした呪詛の類は自然と回避できるようです。

 呪詛の類で一番怖いのは、神様絡みの呪詛で、呪詛を試みる側が、是々非々の判断を特定の神様に委ねた場合、自分の方に否があるのなら自分の命を捧げることを是とした上で委ねることが多いようですが、その結果はいずれにしても”神罰”となることから、事実上、回避不能なようで、ある意味で、御神域などを荒らしたりして神様を怒らせたときの神罰が回避不能なことが多いのと似ています。

 その意味では、人が術として行う呪詛の類は、術である以上は対処法が知られている事が多いだけに、中途半端な素人がプロには勝てない仕掛けになっているとも言えますし、知識の習得が必須となるだけに、組織化されていることが多く、呪殺ができるレベルの能力者となると、どこかの系列に繋がっているか、特定の師匠に就いている(ことがある)事の方が多いようです。

 基本的に、誰かを呪殺したいと思う人というのは弱者で、強者は呪殺などに頼らなくても、金や社会的な地位を利用して弱者をどんどん踏みにじっていきますから、不要な技術と言えなくもありません ・・・

 が、自分が誰かに恨まれるようなことをやっていると自覚してしまうと、”もしかして、ここのところトラブルが続いているのは誰かに呪詛されているのでは~”とか、”健康診断でレントゲンに怪しい影が映ったのは ・・・”となってしまうようで、呪詛対策として金でそういった技術者を雇用する人も出てくるようです。

 金で誰かの怨みをはじき返すことを請け負う倫理観もいかがなものかと思わないでもありませんが、まあ、倫理観に目をつぶらせるために報酬の桁数が決まるわけですから、命より大切な金をかっぱがれることでバランスシートは辻褄があっていくのかもしれません(笑)。

 私的には、初めて呪いの代行の話を聞いたときに、”なんか恋愛の告白を電子メールでやるような人が委託しそうだな”と思ったのですが、月日は流れ、”別れ話も電子メールで送り付けてお終いにする時代”となり、呪いの代行と、呪い返しの代行がネット上でループする御時世になっているようです ・・・ まあ、手軽にコピーもリピートもできる環境ですしねえ?

 呪詛と大差の無い無自覚な心霊現象としては、生き霊が知られていますが、だいたい色恋沙汰が多いとしたものですが、生き霊が取り憑いている人に害を成すか?というと微妙なところで、取り憑いている人に近づいてくる人に害を成すこともあり、それこそそこに居るかのように振る舞う部分があるようです。

 生き霊もまた打ち返すことは可能ですが、相手も生きているわけですから、どのように打ち返すか?は思案のしどころで、(中略)といったあたりが無難かもしれませんが、まあ、そこまでもてたことが無い私があれこれ言っても説得力が無いことは言うまでもありません。

 そういえば、”生き霊を意識的にとばすことは出来るのか?”と聞かれたことがあったのですが、これはリモートビューイングなどの超能力に区分される能力があることを考えれば”可能”ということになるのですが、私の知る範囲では、無自覚で生き霊をとばしている人の方が障りは大きくなるようですし、大半の人は意識して止めることができないようです。

 長らく不思議に思っているのが、呪詛に頼るしか報復の手段を持たない現実世界の弱者が、自らの身に降りかかった不条理を精算するために一命を賭して報復の呪詛を仕掛けているときに、それを耳学問で否定する苦労知らずの阿呆がいることですが、少なくとも、自らの欲望を満たすためだけに一方的に誰かを殴った人が、立場が逆転したときに一方的に殴り返されるのは理にかなったことではなかろうか?

 喧嘩が強い人が腕力を、金を持っている人が金の力を、権力の座に座っている人がぞの権力を私利私欲を満たすために使うことが止められない人の世で、なぜに、呪詛の力だけは私利私欲を満たすために使うことがここまで否定されているのか?と考えるとき、それが有効で効果的な”力”の行使であることが間接的に証明されているのかもしれません。

 ま、そういった”力”を行使したいとも、かかわりたいとも、さらさら思わない小心者であることは御存知の通り(笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第150話:(2011/06/30)





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Last updated  2011.07.06 08:57:25
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