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2012.02.03
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第332話 「聖書の天使」

 最初に白状しておけば、イスラム教など他の宗教における天使の定義や逸話がどうなっているのかを私は知りませんし、参考にしている文献などは基本的に基督教を前提としています。

 したがって、とても不適当な人材が偏った知識をベースに天使について解説していくことにもなるわけですが、まあ、そもそも怪しい話の大半がそういった部類の話ですから、今更、敢えて言うようなことも無い話ではあります(笑)。

 さて、以前、4-324”大天使学”の回で、6枚の羽根を持つ赤い天使のセラフィムと4枚の羽根を持つ青い天使のケルビムといった有名どころから話を始めて、天使の変遷に関してざっと書いたのは御存知の通り。

 今回は、もう少し宗教業界における天使学の移り変わりとでもいった話になるのですが、基督教の中でも東方教会系と西方教会系では天使に対するスタンスがかなり違っていますし、その辺りの温度差が日本のサブカルチャーにおける天使の区分にも影響を与えています。

 手始めに、”天使に性別はあるのか?”というあたりから話を始めると、そういったどうでもいいようなことを東方教会系というかビザンティン帝国(東羅馬帝国)の神学者達も(私以上に)熱心に考えたようです。

 ビザンティン帝国の場合、ギリシャ文化も受け入れていたことと、地理的に西欧諸国とオスマン帝国の中間点というか境界国になっていたことで、さまざまな東方の文化も流入し、また自らの文化を外へ伝播させている事から、宗教の面でも雑多な知識を累積していたためネタ元にもなっていたようです。

 というか、伊太利亜のバチカンを拠点にして羅馬カトリックが西方教会の盟主となり、欧羅巴の中西部を政治的にも支配していったのに対して、ビザンティン帝国は東方正教会の拠点となり、国の庇護の下、厳格な修道制や古式の典礼を維持し、イコン崇教などを含む独特な神秘主義の伝統を継承していたことが知られています。

 ちなみに、東羅馬帝国が崩壊したときに東方正教会の宗教関係者などが落ち延びた主要な国に露西亜があり、そういった経緯から考えて(これを書いている時点では)露西亜正教が東方正教会の直系に近いという説もあるのですが、露西亜正教の場合、その後、露西亜が社会主義国家となったことで国家からの弾圧と融合が進んだことがあり、微妙な話になってしまいます。

 いずれにしても、羅馬帝国の政治に介入して国教となっていく段階で、宗教団体から政治団体への道を歩み始めた勢力が、その後の羅馬帝国の分裂に伴って東西に分かれ、東羅馬帝国に属した集団は、東羅馬帝国の崩壊時に四分五裂していき、それぞれの落ち着き先で政治権力や地元の宗教の影響を受けながら定着していったのは確かな話になります。

 従って、その価値観や宗教的な分類や見解といったものが、どこまでが初期基督教の直伝で、どこからが土着の宗教の余波で、内と外への政治的な理由でどのくらい改変が入り込んでいるのか?時代の変化で教義や儀式がどの程度変わってしまったのか?は、それぞれの教派や教団にも正確には分からなくなっているのではあるまいか?

 角の如く、天使学というのは、そもそもがあやふやな土台の上の話なのですが、天使の性別に関しては意外なことに統一見解に近いものが成立していて、男でも女でもなく第3の性とでもいったことになっていて、両性具有(アンドロギュヌス)ということで決着しているようです ・・・ 聖林映画などでは圧倒的に美人のおねえさん天使になっていることが多いですが(笑)。

 しかしながら、東羅馬帝国のモザイク画で描かれた天使と、伊太利亜のルネサンス期の絵画などで描かれた天使を経て、中世末期の欧羅巴でほぼ定着した天使の絵画などを比較するとき、明らかに顔付きなどが初期の男性の顔や体形から次第に若い女性ないし少年の顔や体形へと変化していることに気が付きます。

 正確には、中世末期の欧羅巴の西側では美少女というか美少年というか微妙な顔立ちと体形に落ち着いていくのですが、21世紀に入って羅馬カトリックの幹部の衆道行為が亜米利加などで発覚し、それに対するバチカンの甘い対応が話題になったのは記憶に新しいところですから、いささか思うところがないでもありません。

 ちなみに、東羅馬帝国でモザイクなどで描かれた天使に男性的な顔付きの天使が多い理由としては、堕天使ルシフェルと天界軍との戦いの伝承からの影響もあったようですし、天使たちの着衣に関しても東羅馬帝国の貴族達の着衣がベースになっていて、それ以前の白が基調の簡素な服を着ている姿で描かれる天使とは一線を画しています。

 まあ、基督教が成立する以前も以後も天使は存在していて、中東界隈のほとんどの宗教で、神と人間との間の調整役というか、神の意志を人間に伝達したり神の意志を体現する懲罰や祝福の実行者として人の生活に介入していることから、人でも神でも無いという意味でも中性的な存在と言えますが、特定の宗教にだけ関わっているのでは無いことには留意が必要です。

 ここで、どうしても”なぜルシフェルは堕天したのか?”という話をする必要が出てくるのですが、権天使とされるルシフェルは神の右腕というよりも神に匹敵する存在だったようで、それ故に、神への叛逆を試みる気にもなったのでしょうし、天界の大半を敵に回した戦争も壮絶を極めることになったようです。

 興味深いのは聖書などにおけるルシフェルの評で、イザヤ書だと”天から堕ちた黎明の子”であり、ユダ書だと”自らの居場所を捨てた天使”ということになるのですが、ルシフェルが意味するのが”暁の子”であるならばそれは”金星(明けの明星)”も意味することになり、日本だと鞍馬天狗の伝承が該当することになります。

 また、黙示録などで、天界を追放されたルシフェルをサタンと呼び、”全世界を惑わす古き蛇は落とされ、その使い(龍)も供に落とされた”としているのも比較的知られた話ですが、やはり”なぜ支配者の側の、それも頂点に近いところにいたルシフェルが反旗を翻したのか?”ということに言及している正規の資料はほとんど存在しません。

 どちらかといえば、偽書とか偽典、或いは外典とされる文献の方がそのあたりに関して言及していることが多いのですが、なるほど、それが理由だとすれば確かにルシフェルが天上界に戦いを挑んだ理由を人間相手には公言できないだろうなと思わせる内容が多く、どちらに立っているかで正邪が逆転しかねない話になっていきます。

 また、ルシフェルの堕天騒動において、神をしてルシフェルを滅ぼしたり消滅させることが出来ず(或いは”せず”)、ヨハネの黙示録などによればですが、400~千年程度の封印するのが限界で、封印が解けた後には解放されるとも宣告されているということは、”その程度の罪状だった”ということにもなるのではなかろうか?

 それは、ノアの箱船の話に見られるように、神を滅ぼす為に武力闘争を起こしたわけではなく、神の思った通りに生活しないというだけで”これは駄目だ!”と当時の人間達を判定すると、あっさり人間達を全滅させるべく邁進する神の冷徹さと比較すると、そもそも人は実験動物程度の扱いしかされていないように(私は)感じるわけです。

 その辺り、、ルシフェルの別称である”古い蛇”というのは、エデンの園でイブをそそのかして智恵の実を食べさせた蛇のことという説があり、結果的にアダムとイブがエデンの園を追放された後、そそのかした蛇も処罰されたという話があり、処罰の内容としてはエデンの園から追放されたという話や、磔などの刑罰が延々と続けられているという話などがあるようです。

 いずれにしても、ルシフェルと神との間に対立が生じ、神の側に立って天使軍を率いた軍団長がミカエルであり、ルシフェルが堕天した後も、ミカエルは地上において龍を退治して回る天使として知られることいなったのですが、その辺りの話は、以前に3-903”聖マイケル山”の回などで触れたことがありますから省略します。

 天使の階級や人数(?)に関しては諸説あり、旧約聖書の偽典(あるいは外典)とされる”エノク書”のあたりまでは大天使達の名前が列記される程度で、やはり旧約聖書の外典の”トビア書”でラファエルが自分が7大天使の一人であることを告げていることなどから考えて、天使に階級や役割分担があるのではないか?と考えられる程度の情報しかありません。

 また、外典や偽書を含めて旧約や新約の聖書に登場する天使というのは、必ずしも人のような外観をしていないのですが、次第に羽根のはえた人の形へ収斂していくことになり、幾つかの獣の外観は分離したり簡略化されていったようで、その辺りに古代バビロニアの神や精霊などが天使という形で基督教などに取りこまれた後、人の形へ変化していったという解釈をする説もあります。

 面白いのが、中東に近い東方教会の教父達は天使の分類や研究に熱心で、西方教会の教父たちは問題提起をする程度だったのですが、5世紀末から6世紀初めの頃に、東方教会で匿名の神学者が書いた”ディオニシウス・アレオパギタ(偽書とされる”ディオニシウス文書”)”で、それまで曖昧だった天使の概念が分類整理されて体系化されると雲行きが変わってきます。

 ちなみに、”ディオニシウス・アレオパギタ”において、”ヒエラルキア”という造語が初めて用いられ、”天使の9つの階層”を意味したのですが、その後は階級制度とか階級組織を意味する言葉として広く使われるようになっていったのは御存知の通りで、天界がピラミッド形の組織になっているという説はここから普及するようになります。

 西方教会でめざとかったのは、グレゴリウス1世で、7世紀初めに”ヒエラルキアについて”という論稿で、”ディオニシウス・アレオパギタ”の分類の権天使と能天使の地位を逆にした程度で”新たな分類法”とし、この分類法が西方教会系の天使論では踏襲されていくことになるのですが、その前段としてケルビムとセラピムが西方教会系の宗教画に6世紀に写本芸術が出現した頃から登場するようになります。

 あっさり書けば、天使学に関して西方教会は東方教会ほど教義への融合に熱心では無く、それでいて天使の存在を無視することもできないことから、東方教会の天使論が体系化されると、それをアレンジして西方教会の天使論をでっちあげ、天使の姿形を男とも女とも解釈できる人の形へと改変することで差別化していったのですが、結局、天使達の階級が西方教会系ではどのように落ち着いたのか?はまた別の機会に。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第332話:(2012/01/28)





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Last updated  2012.02.03 00:10:10
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