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2013.02.21
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第639話 「サバトと黒ミサ」

 サバトといえば、魔女達が夜に行う怪しげな集会とでもいった定義が一般化しているのですが、もともとは古代羅馬の頃の月と狩りの女神として知られるディアナ(ダイアナ)やゲルマン民族の女神のホルダなどが空を飛んで集まって宴会を行った(ている)といった信仰というか俗説が元ネタという説もあります。

 他にも、ユダヤの祭日というか、元来はユダヤ教で週の最終日に与えられたヘブライ語の”シャバット( sabbath )”という名称がユダヤ教を貶めるために、その名称だけが魔女の集会の名称に流用されたという説が知られていて、旧約聖書において天地創造の7日目に神が休息したことから、ユダヤ教の習慣として金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日とし、労働を休んで礼拝のために集まっていたわけです。

 が、ユダヤ教からすれば新興宗教の一つに過ぎない基督教においては、ゴルゴダの丘で処刑された基督が復活した復活第1日を主日(日曜日)として礼拝を行うことを提唱し、日曜日に労働を休んで礼拝(”ミサ”ですな)のために集まるようになり、日曜日以外に宗教関連の集会を開いたり礼拝をするような連中は異端者と言いだし、やがては悪魔崇拝者だから殺してかまわないというあたりまで言動がエスカレートしていったわけです。

 もっと説得力があるのは、水曜と木曜といた具合に一定の周期で労働が終わった夜に行われていた下々のナンパ目的の合コンや切実な婚活(結婚のための活動)を兼ねたダンスパーティや宴会の類が起源で、夜陰に紛れてカップルがあちこちでいたすことをいたしていたとか、それこそ諸説あるのですが、魔女集会としてサバトを捉えて文書化したのは圧倒的に基督教関係者が多く、異端審問や宗教裁判所(インキジション)絡みで基督教以外の宗教を排斥していく流れの中で基督教の祭事関連以外で集会を開いているだけで標的にされた感があります。

 世界史的には、”カノッサの屈辱”として知られる、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世をグレゴリウス7世が破門した一連の騒動が1076年のことで、羅馬法王が一国の王を曲がりなりにも屈服させたあたりで、個人や弱小集団がどういった目に遭わされるかは予見できるわけですが、屈辱を味わったハインリッヒがそれこそ臥薪嘗胆よろしく帝国内の反対勢力を粛正して実権を掌握した後、1083年に羅馬に軍事侵攻し、羅馬を包囲されたグレゴリウス7世がなんとかサレルノに逃れて不遇のうちに没することになったのは御存知の通りというか歴史の授業で教わる話だったりします ・・・ ま、ほとんどの日本人にとっては高校を卒業する頃には抜け落ちる知識ですが(笑)。

 ある意味で、11~17世紀頃の基督教勢力というのは、日本の戦国時代に織田信長と敵対した本願寺の11世”顕如(1543~1592)”が門徒を指揮した一向一揆勢力(一向宗の門徒の多くが浄土真宗に流入したため、通俗的には”一向宗=浄土真宗”と解釈されている)と似たところがあり、国という枠で主に軍事的経済的に支配している戦国大名とは別に、国という枠を越えて法主が宗教的に民草を広域支配し富と命を宗教団体に捧げさせるようになっていったわけで、国内の民の大多数を信者が占めるような地域だと、殿様の命令より法主など宗教的な指導者の命令に従って独立国家と化すことが実際に起こり、死後の来世の幸福が法主から保証されたこともあってか、戦国大名との戦争になると皆殺しにされるまで戦が終わらないかのような傾向があったことでも知られています。

 ただし、欧羅巴の基督教勢力の場合は、カノッサの屈辱で国王側に逆襲された事に懲りたのか、聖地パレスチナの解放と奪還という名目でイスラムの富を強奪する方向で十字軍遠征が行われるようになったことで、域内の各国国王との抗争よりもセルジューク・土耳古など外国への侵略と略奪行為に熱心になったこともあってか域内で国王を相手に宗教戦争が勃発することは回避されたようですし、地域によっては国内で国王の側が魔女狩りに象徴される宗教裁判を黙認したり政治的に利用することで基督教関係者の瓦斯抜きを容認し国王の利益も上げていたと解釈することもできます。

 その辺り、法王グレゴリウス9世は独逸で魔術や妖術の類を研究したという触れ込みでも知られる法王ですが、彼が異端の基督教宗派と考えたアルビオン派を撲滅する目的で創設したのがそもそもの宗教裁判所だったようで、本来、国王が法に基づいて死刑などの刑罰を課して国を統治していたにも関わらず、宗教家が異端と断定すれば国法に関係なく火炙りにして公開処刑する無茶が横行するようになっていったことは比較的知られた話になります。

 宗教裁判の最高刑が死刑だった当時の状況というのは、俺たちに反抗したり生きているだけで目障りな連中は国の法律に関係なく火炙りにしてぶち殺す!という一種の私刑の横行する時代だったということで、ある意味で基督教勢力内部の内ゲバであったアルビオン派の弾圧で話が終わらず、15~17世紀頃には基督教の主流派の観点から見て、あらゆる異端者、背教者、魔術家や妖術家の類まで大車輪で基督教関係者の一方的な理屈で焼き殺すようになります。

 例えば、17世紀に伊太利亜のミラノで祭司をやっていたフランチェスコ・グアッツオの書いた”悪行要論”におけるサバトでは、サバトに参加した人達が十字架を踏みつけにしているとか、悪魔から洗礼を受けているとかいった調子で基督教の象徴や儀式を冒涜しているから悪だとでもいいたげな記述に満ちているあたりでもその辺りは窺えるのですが、中世まで残っていためぼしい古代の宗教儀式や風習の類は悪魔的なものとして弾圧されて改変されるか消滅させられるか地下に潜って難を逃れることになったわけです。

 例えば、ケルト民族の祭事で5月1日に行われていた樹木祭や泉を守護する”母たち”への信仰も、ドルイド教の夏至祭も、羅馬の影響を受けたバッカス祭やディアナ祭もサバトと見なされるようになっていきますから、当然、そういった儀式や祭に参加しただけで魔女呼ばわりされたり火炙りにされかねない時代が数百年単位で続いたわけです(溜息)。

 基督教の観点で、一般にラテン正統派の四大悪魔学者とされるのが、ヨハン・ヴァイエル、ジャン・ボダン、デルリオ、ピエール・ドランクルの4人で羅馬カトリック正統信仰の立場で魔法使いや魔女などの異端を研究し、魔女裁判などで判事を務めたりしています。

 が、表面的には法律に忠実な裁判官であるかのように取り繕いながら、裏では苛烈な拷問による自白を強要したことで知られるドランクルの著作が”呪詛の無信仰(1622)”で、魔女裁判におけるサバトや魔女の儀式などに関する種本として利用されるようになります。

 というか、ドランクルの価値観ではサバトに参加しただけで焚刑(火炙りですな)に該当する大罪ですから、彼に魔女の疑いをかけられて逮捕された段階で、魔女であると告白させるために残酷な拷問の類が続き、告白すれば縛り首、告白せずに有罪の判決が下れば焚刑といった具合だったこともあって、彼の赴任先は恐怖のどん底に突き落とされることになったようです。

 前述したように、元々のサバトというのはユダヤ教の祭日絡みの名称で、本来は欧羅巴の古代宗教の祭事や儀式の集会で、時代が下がると民草の合コンや婚活などを目的とした夜会や宴会も含まれるようになったと考えられるのですが、古代の宗教絡みの集会のサバトの舞台が太古の巨石を使った遺跡や廃墟ではあっても寺院などが残っているような地域、たとえばブルターニュの原野やドルメンの残骸があることでも知られる独逸のハルツ山のブロッケンの峰といったあたりが舞台になっています。

 それに対して、合コン系の夜会や宴会のサバトの舞台の場合は、四つ辻の広場や村はずれの空き地や草原、森の中や泉の側の(かっての祭事場など)の空き地などが多かったようで、何曜日か?というよりも晴れているか雨かといった天候や電灯が発明されていない時代だけに月の満ち欠けの方が開催日を左右したようですが、基督教関係者の記述に、おどろおどろした忌地などで開催されているとか基督教徒が利用する暦で何日とかいったいかにもな記述が増えていくようになります。

 羅馬カトリックの場合、基本的に一夫一婦制で離婚を認めないとしていて、複数の側室や愛人がいるのが当たり前の王侯貴族が反発し、英国王室に至っては離婚が認められないということで国王を頂点とする英国国教会を組織して分離独立してしまったことは比較的知られた話ですが、農奴を含む奴隷階級というか下々の者にとっては結婚することがそもそも経済的に難しかったりします。

 それは別に他人事でも昔話の類でも無く、これを書いている時点の日本でも経済的に貧困階層に属している人ほど未婚率と離婚率が高くなっていることでお解りのように、中世欧羅巴の頃から既に貧乏人ほど異性とはサバトに象徴されるような刹那な関係となりやすく、富裕層の男性が複数の女性を所有するようになり、下層の男性の中には雌の家畜を配偶者とした複数の人の話が残るような状況だったわけで、その家畜をテンガあたりに置き換えて考えれば、”う~ん”という状況に21世紀の日本もなっているのではなかろうか?

 いずれにしても、ペスト禍が一段落して、農業生産や商業流通が安定し、工業が発達してくると都市化が進むようになり、産業革命の頃ともなると、田園地帯から都市部への人口の移動が生じるようになって都市部の人口増加は都市の拡張と近代化の圧力となっていくのですが、同時に、田舎でやっていた宴会系のサバトを都市ではどこでやればいいのか?という問題も生じるようになっていきます。

 まあ、皆が皆、賛美歌を歌って清く正しく肉欲を捨てて納税してお布施を払うことだけを生き甲斐にして死んでいく人生に納得できるほど信仰心が厚ければ問題無いのかもしれませんが(笑)、基督教の弾圧や規制が厳しくなればなるほど、抑圧に対する反発も増大するとしたもので、都市部におけるサバトは人目に付きにくい室内で開催されるようになり、地下酒場や会員制の秘密倶楽部の起源になったという説もあります。

 参加する人数が小規模になったこともあってか、都市部におけるサバトは黒ミサと呼称されるようになっていくのですが、貧しい田舎の刹那などんちゃん騒ぎの夜会が、インテリや富裕層の多い都市においては次第に密室で行われる淫靡な反宗教権力集会にも変質していったわけです。

 が、長くなってまいりましたので、黒ミサの変遷に関してはまた別の機会に。

(2013/02/05)





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Last updated  2013.02.21 11:55:21
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