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2013.03.11
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第655話 「ゾロアスター教」

 その存在そのものが古代史に最大の謎という説もあるのがシュメール人で、それは砂漠の中で唐突に高度な文明が”すべて持った状態”で誕生し、それでいて軍事力の強化というか自ら武装して戦うことにはさほど熱心で無く、ある意味で周辺の蛮族国家であったアッカドによって紀元前2300年頃に攻め滅ぼされてしまい、歴史から姿を消してしまいます。

 正確には、アッカドが軍事侵攻したことによってシュメールの社会制度が崩壊し、教育システムが崩壊したことで学問や技術の伝承が途絶するようになったことで、アッカドが軍事侵攻するまでに教育を受け終わっていた世代以降は急速に学問や技術の伝承が粗くなっていったとういか不完全になっていったと考えられます。

 アッカドが軍事部門以外でシュメールを越える文化をほとんどの分野で形成できなかったことは、その短い100余年(5代)程の統治期間が示しているところですが、アッカドが滅んだ後、紀元前1894年に建国した古バビロニア王国(バビロン第1王朝)はシュメールの直系というかアッカドよりもシュメール文化を色濃く継承していたようです。

 ある意味で、アッカドに追われて南へ逃げたシュメールの民を吸収した南部の勢力が北へアッカドを押し返したのが古バビロニア王国と考えて良いのかもしれませんが、古バビロニアの文化がシュメールの影響を色濃く受けていることは確かな話になるようです。

 そして、古バビロニア王国の六代目で、ハンムラビ法典で知られるハンムラビ国王(在位、紀元前1792~紀元前1750年)の行ったことで法典の制定以外だとマルドゥク信仰の確立があり、歴史的な経緯から考えても、マルドゥク信仰もまたシュメールの直系ないし影響を少なからず受けた宗教と考えられます。

 具体的な内容は以前に少し触れたことがあるので今回は省略しますが、この頃、ゾロアスター教の原型となる宗教もアフガニスタンの辺りで産声を上げていたようで、後にゾロアスター教として整理し、ゾロアスター教の開祖とされることになるゾロアスターが教義をまとめたり布教活動を行っていたのが紀元前1600年頃~紀元前1000年頃と考えられています。

 時期的に考えて、アッカドに追われて東へ逃げたシュメール人の影響をゾロアスター教が確立されていく段階で考えてもいいのかもしれませんが、ゾロアスター教は古代バルフの地(現・アフガニスタン)で興ったとされていて、善霊スパンタ・マンユと悪霊アンラ・マンユ(これが後に、光のアフラ・マズダと闇のアフリマンに変わっていく)の対立・闘争を軸とする二元論は世界の終未論へと繋がっていくことになり、”いずれこの世界は(争いの末に)終わる”とする人類終末思想が教義の中で述べられた始まりとなっています ・・・ ゾロアスター教以前にもあった考え方かもしれませんが。

 また、アフガニスタンが場所的にメソポタミアというかオリエントの東の果てであると同時に、印度からすれば西の果てに位地していたことで、印度方面からの影響を受けたり印度方面へ影響を与えたであろうことは、その後のゾロアスター教の広がり方でも明かですし、後のシルクロードと呼ばれた東西交易のルートから考えても、欧羅巴と中東との境界が土耳古というかジブラルタルの辺りになるように、中東と印度との境界がアフガニスタン界隈になっていたのではないかと。

 その為か、後に旧約聖書や新約聖書などにも頻繁に登場する”天使”の前身と考えられているアムシャ・スパンタ(本来の意味は”聖なる不死者”)の概念の導入というか、ゾロアスター教から天使の概念が広まり定着していったという説もあります。

ゾロアスターがゾロアスター教の布教を本格的に行ったのはアフガニスタンではなくイランだったようですが、その教義や宗教儀式などから、マズダ教とか拝火教と呼ばれることもあり、印度(バーシー教徒)、中国(ケン教)まるのですが、ゾロアスターの言動や教義などを根本教典”アベスター”として文書化したことで広い範囲で同じ内容の布教活動が可能になったあたりが当時としては画期的だったのかなと。

 ゾロアスター教の祭司階級”マグ(ラテン語”magi(マギ)”、英語”magic(マジック)”の語源)が魔法や魔術の語源になっているという話は何度かしたことがありますが、基督の生誕時に訪れた東方の三博士もゾロアスター教の祭司という説があります ・・・ 彼等がその知識や技芸をどこで学んだのか?どの文化や文明が起源となるのか?といったあたりには一考する価値があるのではなかろか?

 もちろん、シュメールの文化だけをゾロアスター教の起源として考えるには、拝火やダフメ(沈黙の塔)での鳥、風葬といった独得な祭祀が障壁になるのですが、紀元前550年に(4つに分裂したアッシリア帝国の一つである)メディアを倒したペルシャ人達がアケメネス朝ペルシャ帝国を名乗った頃には国教になる規模で信者が増加していて、ユダヤ教やマニ教、大乗仏教にも少なからず影響を与えたといのが定説ですから、文字通り、現在の世界宗教の根底にゾロアスター教の影響があると言えます。

 それ故に、ゾロアスター教における世界の終末論を継承する宗教が珍しく無いとも言えるのですが、ゾロアスター教の世界観としては、世界が”創造(ブンダヒシュン)”、”混合(グメーズィシュン)”、”分離(ウィザーリシュン)”の3つの時期に別れているという大前提があり、ゾロアスター教が確立された頃から現在に至る間は”混合の時代”に属しているとされています。

 ゾロアスター教の主神である”アフラ・マズダ(光の神。アフラは”主”、マズダは”知恵”を意味する。その神像は王冠をいただく有翼の人間像。)”によって世界な”創造”され、創造されたことで始まった”創造の時代”の世界は完璧であったが、アフリマン(アンラ・マンユ)に攻撃(なしい侵略)されたことで”混合の時代”に入り、善悪が入り混じって互いに闘争する時代となったとされています。

 アフリマンは、元々は最高神アフラ・マズダの下にあって聖霊スパンタ・マンユと対立する破壊霊として登場し、後にアフラ・マズダと直接対立する悪と暗黒の神へと立ち位置が変化していくのですが、お解りのように、聖書などで主神に異を唱えて天界を二分する戦いを起こして敗れ、地上に落とされたルシファーの原型と考えられます。

 意外かも知れませんが、ゾロアスター教では、最後の審判で善の勢力が勝利するされてはいるものの、善神勢力と悪神勢力たちとの闘争は終結していないと考えられていて、私に言わせればその戦いに勝った方が”善”になると思いますが、いずれにしても戦いが終結した後に新しい理想世界への転生が説かれています。

 そういった混合の時代に生きている人達には、”善思”、”善語”、”善行”の3つの徳(三徳)を実践して生きることで、臨終に際して裁きを受けて、死後の天国行きか地獄行きかのいずれかが決められて旅立つことになると教導しています。

 此の辺りの考え方は、後期ユダヤ教やキリスト教、イスラーム教、仏教などにも大なり小なり影響を与え引き継がれていっているのですが、死んだ直後の裁判は仮のものとし、世界が終末を向かえるときに改めて総審判(いわゆる”最後の審判”)が行われ、そこでは、死者も生者も改めて裁判を受けて再度選別され、すべての悪が滅したのちの新世界で、最後の救世主によって永遠の生命をあたえられる(人と切り捨てられる人とに峻別される)としているあたりは、基督教などでは定番の”最後の審判”や”救世主の登場と救世主による教導と救済”に継承されていったと考えられます。

 遡れば、ゾロアスター教の原型とされる古代アーリア人の自然崇拝における天の神ヴァルナの信仰をゾロアスターが宗教として体系化し道徳的意味を付与して”アフラ・マズダ”という宇宙創造の至高神へと格上げされたとする説もあるのですが、拝火教の別名があるもののゾロアスター教が神聖とするのは”火”だけではなく、水、空気、土もまた神聖なものとしているあたりにも自然崇拝宗教を出発点としている名残があるかなと。

 もちろん、ゾロアスター以前に古代アーリア人の宗教において既に火、水などの神格化は進んでいて、”三大アフラ”として”叡智の神アフラ・マズダ”、”火の神ミスラ”、”水の神ヴァルナ”が登場しているというか確立されていますから、ゾロアスターを創始者と考えるか、中興の祖と考えるかは微妙な話になるのかもしれません。

 というか、ゾロアスター教の根本経典とされる”アベスター”の、それもササン朝期に編纂された全21巻のアベスターでさえ現存するのは全体の1/4程度というのが定説で、既に全貌は謎というか、ゾロアスターが布教していた頃の教義がどのようなものだったのかは藪の中の部分が多々あるようです。

 アベスターの内容としては、5部構成とされていて、1.ヤスナ(祭儀書。全72章、その内の17章の”ガーサー”と呼ばれる部分がゾロアスター自身の作とされる)、2.ビスプラト(小祭儀書。ヤスナの補遺。)、3.ビーデーブダート(除魔書)、4.ヤシュト(頌神書)、5.ホルダ・アベスター(祈祷文集)ということになっているのですが、ビーデーブダート(除魔書)やホルダ・アベスター(祈祷文集)などが既に存在していることからお解りのように、既に除霊などを含む魔術の類が日常的に用いられていたと考えられます。

 ゾロアスターはブルフ(アフガニスタン)で没したとされているのですが、後に”我こそはゾロアスターが転生した者である!”と主張する人が登場することになり、16世紀伊太利亜の自然哲学者にして魔術師として知られるデッラ・ポルタなどが有名所ですが、ポルタの研究がその後の化学の端緒となったという説もありますから、どこまでが真実でどこまでが法螺ないし妄想の類なのかは微妙な気がしないでもありません。

 印度~イラン周辺の土着の宗教や信仰を、善悪の対立と来世の概念を組み入れた独特な世界観の宗教へと組み替えたゾロアスター自身が、自分を宗教家と考えていたのか、預言者や魔法使いの類と考えていたのかも実のところ定かでは無いようですが、アフラ・マズダの使者という立場で預言を行い、悪魔の存在を唱え悪魔を祓い、悪魔払いだけでなく病気を治す白魔術の類も得意としていた ・・・ という話もあります。

 そう考えると、ゾロアスター教というのは、実在した魔術師として知られる中では最古の存在が起こした世界宗教ということになり、少なくとも魔術師から宗教が産まれることがあることを実証している事例の一つと言えるのではないかと私は考えています。


(2009/11/23)





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Last updated  2013.03.11 21:16:03
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