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2013.03.25
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第667話 「反魂の魔術」

 人の記憶はどこに記録されているのか?と聞かれて”脳味噌!”と答える人は珍しく無いのですが、心臓移植の件数が増加するのに比例して、奇妙な嗜好の変化が報告されるようになり、どうも心臓の細胞の一部に本来の心臓の持ち主の記憶が記録されていて、移植された先の記憶に干渉するというか混線することがあるといったあたりで落着していたりもします。

 それこそ、心臓移植手術を受けるまでは肉類が駄目で、ほとんどベジタリアンだった人がフライドチキンが大好物になったとか、趣味がインドア派からアウトドア派に(或いは逆に)変わったりする程度の話で、以前の持ち主が日常的に見ていた光景などを見たり、学習した覚えのない言語を母国語並に使いこなせるようになるとかいった話では無いのですが、脳細胞以外の細胞でも記憶を記録しうることは意外と確かな話と言えます。

 しかしながら、幽霊話などで、死んだ後なのに延々と恨み辛みを語る幽霊とか、無差別という事例も多いですが一定の相手に報復する幽霊の話など、どこかに生前の記憶が記録されていないとありえない怪異談というか話の方が多いのは御存知の通り ・・・ 脳味噌が無くなった後、幽霊達はどこに記憶をリザーブしているのか?

 一つの仮説として、幽霊などの心霊現象が生じやすい環境に、湿度が高いとか、低温といった条件が挙げられることと、幽霊屋敷や死亡事故のあった場所など特定の場所に繰り返し出現しやすいといった特性が知られているあたりから、場の記憶といいましょうか、その場の”水”に記憶や思念の類が保存されるのではないか?と考えているのですが、故に、怪奇スポットなどに多数の人間が押し寄せて乾燥が進んだり、”水”が散らされたり飛ばされてしまうと場の記憶が再現されなくなっていくのではあるまいか?

 水が記憶するというと奇妙な気もしますが、自然界の水の多くは純水と呼ばれる水素と酸素の化合物だけで形成されている水は希で、電解質というかミネラル成分を含有していることが多く、微量ながら電位差が生じている水もありますから、大量の水が電気的な情報を記録することはありうるのではないかと考えているわけです。

 或いは、飲み比べてそれと分かるレベルで、水に語りかけると味が変わるとか、気を操作すると酒や水の味が変わるとかいったことはさほど珍しくない話ですから、死の間際などの強烈な情報発信が周辺の水分に情報を焼き付けることは十分に起こりうるのではなかろうか? ・・・

・・・  ま、超能力で言えばサイコメトリなども似たような場の記憶で説明できるような気がしますが、いずれにしても仮説の域を出ない話ではありますな(笑)。

 もっとも、この仮説の場合は、イタコや霊能者など”死者の霊を降ろして生者と対話させる”ことができるとする人達の存在というか、なぜそういったことが可能なのか?というあたりまでは矛盾無く説明することができませんから、思考の遊びくらいの意味しか無いのかもしれませんが、逆に言えば、見ず知らずの死者と対話して故人しか知らないような内容を ・・・ 生前にどこそこに隠して置いたヘソクリがそのままになっているとか ・・・ 知ることができたとかいった話の場合、どこかに故人の記憶が残っていなければ起こり得ないのではないかとも考え込んでしまうわけです。

 魔術の中にも、死霊術などで、既に死んでいる人を呼びだして生前に隠した財宝などのありかを知る話がありますから、洋の東西を問わず普遍的に起こりうるというか行われていた術式であり、一定の確率で成果が出ているからこそ伝承されている技術と考えることもできるのではないかと。

 ただ、一定の降霊に関する技術が存在していて伝承されているとしても、恐山のイタコのように一見の観光客相手に次から次ぎへと連日のように多数の降霊をこなすことが可能か?と聞かれると、体を読むだけでも四苦八苦している私的には”う~ん”と思うというか、”世の中には超人がいるかもね~”としか答えようが無いのですが、カウンセリングの一種と考えておけばいいような気がしないでもありません。

 少し視点を変えると、世の中には死後の世界を垣間見て蘇生した、いわゆる”臨死体験”を経験した人達が太古の昔から少なからず実在していて、そういった体験談を集録する人も珍しく無いのですが、何が楽しくて生きているのかという人の中から、夢と同じような脳のノイズや記憶の混線、思い込みに過ぎないといった見解も主張する人があり、死後の世界有無に関しては意見が分かれているのは御存知の通り。

 その辺り、死後の世界があるとしても、死後の世界に移動した故人はどこに記憶を記録しているのか?ということは謎なわけで、心理学などでいうところの集合的無意識をエネルギー場の一種と考えれば、そこへ吸収されていくまでの間は個人としての電気的な記憶(魂)を保持できていると考えて良いのか?

 その辺り、昔というか以前の日本だと”魂魄”と分けて考えていたのですが、ざっくりと、死に際して、あの世へ行く(集合的な無意識領域へ帰る)”魂”の部分と、この世に残る”魄”の部分が分離し、”魄”の部分が幽霊などとして認識されたり怪現象を起こすエネルギー源になっていると考えておけば間に合うかなと。

 この魂魄理論の場合、転生というか、前世の記憶を持って産まれてくる人が一定数存在するというか、かなりの数の人が7歳くらいまで大なり小なり前世の記憶を有している現象まで説明できる余地がありますから、なにかと重宝しているのですが、まあ、前世は前世で夢や物語と大差の無い話で、今世を生き抜くことに傾注する方が建設的だとも思います。

 なにはともあれ、洋の東西を問わず、死者を生き返らせる魔術は禁断の魔術と定義されることが多いのですが、肉体を一種の容器と考えれば、そこから抜け出した魂を元の容器へ戻すことができれば蘇生する可能性が出てくるわけですが、狙った魂を狙った容器(体)に狙って入れて定着させることができるかどうか?と考えると、浮遊霊という言葉がありますが、彷徨っている魂はかなりの数になっているのではないか?という点が不安材料になるかなと ・・・ まあ、私は魂や浮遊霊の類を見ることができませんから、この手の話であれこれ断定したり断言する気はありませんが。

 大枠で反魂の術に関してざっくりと解説すれば、”死者の魂を現世に呼び戻して蘇らせること”となり、必ずしもAさんの魂をAさんの肉体に戻して蘇生させることとは定義されていないのですが、中国の怪異談や奇談において、Aさんの魂がBさんの肉体に入り込んで蘇生してしまった話が一つの分野になっているあたりで、元ネタになるような実話が少なからず起こっていた可能性が捨てきれず、実際にそういった現象が起こることがあるからこそ術によって再現できないかと考える人が出てきたのかも知れません。

 中国では、”反魂香(はんごんこう)”という、その香を焚くと死者の魂を呼び戻すことができ、香から立ち上る煙の中に生前の姿が再現されるアイテムが考案され、漢の武帝が李夫人を喪ったときに西海聚窟州(しっゆうくつしゅう)にある香木の反魂樹から反魂香を造らせて、李夫人と再会することに成功したという話があり、日本の浄瑠璃や歌舞伎の中にこの話を元ネタにしたものが幾つか存在することは比較的知られた話になります。

 もっとも、反魂香に関しては想像上の産物という説も有れば、芥子の汁など幻覚成分を含む植物を加工したものを燃やした煙を吸い込ませて非暗示性を高めておいて、暗示をかけて誘導し狙った幻影を見せたというもっともな説もあります。

 閻魔大王や泰山府君といった、あの世や人間の寿命を統括している存在に働きかけて特定の魂を呼び戻して死者を蘇生させる術式があるという話は比較的知られている話ですが、興味深いのは、宗教や神話の体系が異なれば、働きかける対象も変わってくることで、その意味では、人類の死後の世界を管轄しているトップって誰?といったややこしい話になりかねない気がしないでもありません。

 というか、死者の魂を呼び戻すためには、死者の魂がたむろしている場所というか空間というかが有ることが前提になっているため、冥界や地獄、あるいは極楽や天国の類が無く、死ねば総てが無に帰すとする人達にとっては反魂そのものが成立しない話になります。

 ちなみに、日本で有名な反魂の話といえば、やはり鎌倉時代初期の西行が全国行脚の途中で反魂の術を使ったという”撰集抄(せんじゅうしょう)”に集録されている話で、西行は反魂の秘術を行う際った際に、術の仕上げに沈と香を焚いたことになっているのですが、これが同じ重さの金より高いと言われた”沈香(ちんこう)”のことかどうかは定かではありませんが、高値で取り引きされる香の中に何らかの呪術的な効能が秘められているものがある ・・・ のかもしれません。

 結局、西行の反魂術は上手くいかず、外観は人間に近いものに仕上がった(人の姿に似たり)ものの、魂の入っていない抜け殻のようなものになったため、高野山の奥地に不法投棄して無かったことにしてしまうのですが、上手くいかなかった原因を知るために、京の都で反魂術の大家として知られていた源師仲(みなもとのもろなか)にどこが間違っていたのかを尋ね、源師仲が答えていたりもします。

 なお、反魂術が絡む話の中には、人形など一定の寄代に魂を狙って封印する話もありますし、どのようなものが生身の人間の他に寄代たりえるかといったあたりの研究と実践に勤しんだ古の魔法使いは珍しく無いようですが、死者を操る死霊術が魔術の中でも独立したカテゴリーになっているあたりで、個人的な趣味というか嗜好性や能力特性などが反映しやすいジャンルなのかもしれません。

 いずれにしても、反魂術の行き着く一つの先が、仙人のような不老不死の存在になるのではなく、”肉体が年老いたりして使い物にならなくなったら、魂を抜いて若い肉体へ移すことで延命する”という発想で、大金持ちが年老いたり致死性の病に冒されたり、大怪我をして半身不随などの後遺症に悩まされるよういなったときなどに、若いぴちぴちした肉体の持ち主を買い取って魂を入れ替えようとする話はさほど珍しく無いのですが、脳移植が理論上は可能になってきている御時世だけに、笑えなくなってきているな~と思わないでもありません。

 文字通り、元気でぴちぴちしている赤の他人を買い取って自分の新しい肉体とすることに倫理上の問題があるとすれば、自分の体細胞からクローンを生成し、そのクローンの体に脳を移植した場合はどうなのか? ・・・ なんともややこしい時代というか、古の魔法使いでさえ忌避した分野の術が産み出す世界が、大金を積み上げる魔術によって実現しかねない時代がすぐ近くにやってきている気がするのは気のせいか?

  (2013/03/09)





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Last updated  2013.03.25 10:27:51
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