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2013.03.26
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第668話 「蝿の王」

 蝿の王といえば、ペリシテ人が信奉した”ベルゼブブ (Beelzebub) ”のことで、その神託の的中率が驚異的であったことでも知られるのですが、その神託というか占いに”蝿”を利用したことから蝿の王と呼ばれることになったようです。

 ペリシテ人の町であるエクロンの神バアル・ゼブブ(バアル・ゼブル)と同一というのが定説で、冬場に恵みの雨を降らせる豊穣と慈雨の神で大元では雷神でもあったバールを信仰する”バール神信仰”が前提になることからお解りのように、本来はオリエント世界で広く信仰されていた神様だった存在が、後発の宗教であるユダヤ教や基督教が台頭していく過程で貶められていったとも言えます。

 本来、神様だけになんでもありで、絶世の美女に化けることもできれば、牛や山羊といった定番の家畜に化けることもできるとされている一方で、魔術師に召喚されると、牛ほどもある巨大な蝿の姿で登場するお茶目な一面があるようです。

 基督教関係者というか、”マルコの福音書”や”マタイの福音書”では(ベルゼブル (Beelzebul)ですが )、ベルゼブブを地獄における最高位の君主と定義していますし、北イスラエルの王”アハズヤ”が(的中率の高さから)ヤーベではなくベルゼゼブに”自分の怪我がいつ頃回復するか?”のという神託を求めたりもしています。

 ちなみに、その態度に御立腹だった預言者のエリヤは”王は回復することなく死ぬ”と預言し、預言した通りに回復することなく王は死んだとされているのですが、魔術的に解釈すれば、エリアの言葉は預言というより王に死をもたらす呪詛になっているような気がするのは気のせいか?

 それでも旧約聖書の頃には神とされていたベルゼブブですが、新約聖書になると”サタンの頭”とされるようになってしまい、そもそも旧約聖書などでは、サタンの定義に関しても、”敵対する者”であり”試す者”といった程度の意味から話が始まっているのですが、新約聖書になると神や基督に敵対する者といった対象の限定が始まり、もともと”バアル・ゼブル(崇高なるバアル)”と呼ばれていた異教の神を発音が近い”バアル・ゼブブ(蝿のバアル)”と呼び変えて蔑むあたりが、基督教らしいといえばらしい異教の神への対応と言えるのかもしれません。

 時代が下がって近世欧羅巴で流行したグリモワール(魔道書)におけるベルゼブブは、大悪魔とされるようになり、実力ではサタンを凌ぐ魔王で、地獄においてサタンに次いで罪深く、権力と邪悪さでもサタンに次ぐ存在とかいった具合に定義されるようになっていくのですが、やはりその神託の的中率は基督教関係者をしても否定できなかったようで、地獄に君臨する大悪魔と定義されていながら、同時に”ベルゼブブは神託をもたらす悪魔”と矛盾した表現が珍しく無かったりします ・・・ 少なくとも、悪魔が未来の出来事や失せ物、秘密にしていることなどなどを告げれば、的中率がどうであれ、それは神託ではなく魔託とかいった表現になるのではなかろうか?

 ソモソモ論で言えば、別に蝿の王呼ばわりして蔑まなくても、ベルゼブブの神託というか蝿を使った占術の告げる内容が的中しなければ、バール信仰に限らず神からの預言を前提とする宗教そのものが成立しないわけですし、逆に成立している期間が長いということは預言が的中したと考える人が多かったことを意味しているわけです。

 興味深いのは、さまざまな奇跡現象を起こしている基督がほとんど行っていないのが長期預言で、短期預言に関しては本人が処刑される前後の高弟達の言動を克明に預言してみせた逸話などが有名ですが、ヨハネの黙示録は知られていて基督の黙示録の類が知られていないことは御存知の通り。

 もっとも、基督の長期預言に関しては、十二使徒以外の系列に委託されたとも考えられますし、いわゆる”マリアの福音”関連の話として、マリアから基督が極めて親しい間柄だったマリアにだけ教えた秘技や知識の類を、基督が去った後、他の高弟達が高圧的に(上から目線で)聞き出そうとして果たせず、マリアを罵倒して分裂していったという話は以前に少し触れたことがありますが、南仏に渡ったというか戻ったとされるマグダラのマリアの系譜が羅馬カトリック系にとって目障りな存在だったことは確かな話になります。

 また、基督は長期預言以外の霊能力や超能力の類はオールマイティにこなしていたようですが、その弟子達がそういった師匠の能力を基督が処刑される以前に継承できていて奇跡現象を頻発させていたのか?といった視点で考えると、他の宗教勢力などとの霊能力比べの類や宗教、法律関連の論戦で正面に立つのも常に基督で、その弟子達は誰でもできるアシスタント的な役割しか果たしていなかったりします。

 基督がしばしば行っていた悪魔払いにしても、他の宗派から”ベルゼブブの力を借りて行っているのではないか?”と難癖をつけられたときに、基督が”悪魔が悪魔を払ったりするであろうか?(自分の行っている悪魔払いは)精霊の力によるものである!”と詭弁を弄して切り抜けたことは比較的知られた話ですが、それこそ、暴力組織の末端の妨害を止めるにはその組織の上層部と交渉し、上層部からの指示で下っ端を押さえ込む手法が効果的なことは比較的知られた話ではなかろうか?

 もちろん、それをもってして、基督の悪魔払いは悪魔の頭領とされるベルゼブブと交渉して人に入り込んでいる下っ端を出ていかせていたのだと主張しているわけでは無く、基督の理屈は成立しないと主張しているだけのことですし、悪魔払いの前提である、悪魔が入り込んだのか?精神を病んだのか? ・・・ 惚けが進んだのか?を当時の人達がどうやって見分けていたのか、そもそもの前提が不完全だったりもするわけです。

 一方で、ベルゼブブが自分の配下や使い魔の類を指揮下に置いていたことは確かな話で、ベルゼブブの能力の一つに、作物を荒らす蝿の害から人を救う力があるとされ、他の高名な悪魔達を配下として軍団を形成していると同時にベルゼブブが軍神というか戦いの神としての性格も有していて剣の達人とされているあたりでも、部下の造反を容認するとは考えにくいところがあります。

 ベルゼブブの戦神としての性格は、グリモワールなどのベルゼブブに関する記述に怒らせると炎を吐いて、狼のように吼えるといった記述などにも反映している気が(私は)しますが、ギリシャ神話のゼウスは北欧神話のトールなど、多神教の神話において、しばしば雷を操る軍神が最高神であり神々の頭領として統括している(と考えられる)ことは珍しくなく、その意味でも、ベルゼゼブは凋落した神というか、かっては所属する神の軍団のトップだったと考えた方が筋が通るようです。

 そもそもが神の集団の最高位の存在であったと考えられるベルゼブブだけに、基督教勢力から迫害される側のグリモワールを書くような一定以上の知識を持っていた魔術師達の中から、ベルゼゼブというかバール神を信奉する人が出てきても不思議ではなく、判官贔屓というわけでもないのでしょうが、ベルゼブブに関する記述には興味深い改変というか論証が目に付くことがあります。

 その辺りをザックリとまとめると、ベルゼゼブはかつて、天界において熾天使と呼ばれていた高位の存在であったものが、ルシファーが神に戦いを挑んだときにはルシファーの側近として戦ったといった説話が創られ、その配下として、”蝿騎士団”という直轄の騎士団を形成し、蝿の騎士団にはアスタロトなど高名な悪魔達が参集している ・・・ としていたりもするわけです。

 実のところ、悪魔業界に明確な階級制度があるのかどうかさえ実は定かでは無く、基督教関係者があれこれ創話したり論述するまでは、悪魔業界は複数のサタンがそれぞれ配下のデーモン(実際は、デーモンという言葉もサタンから転じているのですが)を従えているといった程度の話しか無く、それが時間の経過とともに空想の翼も広がって細かく定義されていったと考えられます。

 また、基督教関係者にとって他の宗教は人心を惑わす邪教であり、同じ神を信奉し基督を崇拝していながら分派して、基督教の宗派間の対立は時に(アビニヨン派に対する羅馬カトリックの策謀に見られるように)流血を伴うこともあったというのは常識の内ですが、やがて、悪魔業界の序列を天上界の序列のパロディというか出来の悪いコピーのように定義する冒涜さえも行うようになり、やがて一つの分野となり定説化していくことになります。

 いずれにしても、悪魔業界の序列に関するモデルの一つに、天上界の組織を模倣する系譜が成立しているのですが、もう一つの系譜として人間界の王侯貴族や軍隊組織を模倣した悪魔業界の組織図も欧羅巴では中世の頃から熱心に作成されるようになります。

 王侯貴族の組織を模倣した有名所としては、16世紀にヨーハン・ビーヤーによって執筆したとされる”悪魔の偽王国”が知られていて、中世の封建制度における身分を模倣して、悪魔を14段階の身分に割り振る工夫が凝らされ、”悪魔達の肩書きに”皇帝”、”大王”、”王”、”大君主”、”君主”、”大侯爵”、”侯爵”、”大公爵”、”公爵”、”大伯爵”、”伯爵”、”大総裁”、”総裁”、”騎士”をつけることが珍しく無くなっていきます。

 軍隊組織を模倣した悪魔の組織だと、アントニオ・ベネティアナの”大奥義書”が元ネタになっていることが多いですが、ルシファーを”皇帝”、ベルゼブブ(ベルゼビュート)を”君主”、アスタロトを”大侯爵”として別格扱いし、その下にルキフゲ・ロファカレ”宰相”、サタナキヤ”大将”、アガリアレプト”司令官”、フルーレティ”中将”、サルガタナス”旅団長”、ネビロス”少将”が配置され、さらにその下に何百万もの悪魔で編制された実働部隊があるとされています。

 神に敵対したルシファーの勢力が、ミカエルの率いた勢力との戦いに敗れて地上に落とされ地獄に幽閉されたといった話が定番になるのは、17世紀に詩人のミルトンが”失楽園”を書いた辺りからですが、天上界の至高神と人の扱いに関する炉sんたいりつも含めて激突していたルシファーが、反基督教的な立ち位置に立たされるようになった背景に”失楽園”のヒットがあったと考えることもできます。

 ただし、本来、人に試練を与える(ているのか迫害しているのかは微妙な気がしますが)は神様の方がよほど過激で、突き詰めれば、人がやっていることが気にくわないというシンプルな理由で、ノアの洪水など滅亡させかけた話もあれば、ソドムとゴモラのように一瞬の内に焼いた(当時としては)大都市の話もあることは比較的知られた話で、自分が創造したのだから滅ぼすのも自分の勝手だろうと言わんばかりの傍若無人ぶり ・・・ まあ、そもそも人では無いわけですが ・・・ に異を唱えて人の側に立ったのがルシファー達の勢力だったとすれば、辻褄が合ってくる気がしないでもありません。

 (2013/03/11)





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Last updated  2013.03.26 06:41:22
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