トルコ記念館を訪ねて~和歌山県串本町★サイトマップ&ご案内和歌山県串本町~トルコ記念館を訪ねて★日本・トルコ友好の始まりは「エルトゥールル号遭難事件」から 平成21年の年の暮れ、大阪の親戚を訪問した帰りに、和歌山県串本町のトルコ記念館を訪問した。和歌山県串本町は、紀伊半島の南端に位置し、天王寺から特急くろしおに揺られて3時間!さらに串本駅から紀伊大島へ渡ると云う長旅であった。タクシーに乗った際「両親が旅行でトルコ行って来ましてん」という話を披露すると、タクシードライバーが「順番が違いまっせ、串本来てからトルコ行ったらええのに」と悔しがるのだ。要は、串本から来ました!とトルコ人のガイドさんなりホテルの人なりに言ったら、ものすごい歓迎されまっせ、とんでもなくサービスしてくれまっせ!と云うことらしい。 其れほどまでに串本の存在はトルコ国民にとって重いものなのか、是は現地へ行って確かめるしか無い!拙者の心は弾んだ。リアス式海岸の風光明媚な海岸線の先端にある記念館に到着! 「エルトゥールル号遭難事件」とは? 岩礁に激突したエルトゥールル号は沈没、瞬時に六百名近い人が亡くなったが、69名の生存者が樫野崎灯台へ登って助けを求めた。大島村樫野の人々が駆けつけ、村をあげてトルコ人の救援活動を行うことになったのだ。言葉もほとんど通じない異国人同士、それがいかに困難なものであったろう!トルコの人々が、串本や樫野といった地名に特別の感情を抱いているのは、紀伊大島の人々の献身的な行動が、生存者によって広く伝えられたからである。 また、明治天皇も生存者の救護と援助を迅速に行うよう指示、生存者は戦艦「比叡」「金剛」によってトルコ本国に帰還した。我が国の官民挙げての救援活動は、トルコ国内でも大きな反響を巻き起こしたのである。 樫野崎灯台や慰霊碑を見学~節目の年には追悼式典なども行われます。 ★鹿児島から羽田へ向かう飛行機から串本がよく見えました! ★祝!トルコ海軍晴海寄港→この時の詳しい写真は、こちらから →次ページ、くじらの町「太地」の写真集もご覧ください! 管理者は大阪生まれの相模原育ち~地域リポート・旅日記の数々です。 ★住んでる街、住んでた街 ・横浜市 ・鹿児島市 ・華の?東京暮らし ・札幌市 ・相模原市 ・もう一度住みたい!~阪急沿線~★リポート集 ・阪神甲子園球場巡礼! ・大阪神戸ロマンチカ ・リニア新幹線計画 ・軍艦旗よ永遠なれ ・紀州路を行く |