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カテゴリ:神社
![]() 壬申の乱前夜、 追手から逃れて吉野に入った大海人皇子(おおしあまのみこ・清見原天王=天武天皇)。 皇子に老夫婦が根芹と国栖魚(鮎)を献上した。 皇子が残した半身の国栖魚を賜った老翁が、 吉兆を占うようにその魚を川に戻すと生き返って泳ぎ始めた。 これは謡曲「国栖」の一場面。 私はこの能を観ていませんし、どこでこの逸話を知ったのか記憶もないのですが、 この場面のことを覚えていて、そしてその舞台となった場所のイメージが 正に上の写真のようなものだということを鮮明に覚えていました。 ![]() 奈良県吉野郡吉野町南国栖 ■御祭神 天武天皇 神社名は御祭神の天武天皇に由来するのでしょう。 天武天皇は壬申の乱に勝利した後、飛鳥浄御原宮で即位しました。 上記謡曲の他、この地には天武天皇をかくまったという伝承があるそうです。 天武天皇(大海人皇子)を探して嗅ぎ回る敵方の犬を殺し、皇子を守ったというもの。 そのため国栖の里人は犬を飼わず、この辺りの神社には狛犬がないのだとか。 国栖の村人が犬を飼わないかどうかは定かではありませんが、 この付近の神社に狛犬がないのは確かなようです。 この浄見原神社にも狛犬は見当たりませんでした。 この神社では毎年1月14日に国栖奏が奉納されます。 神社の近くにあった吉野町観光課の案内板によれば、その起源は応神天皇の時代とのこと。 おそらくは天武天皇の時代からでしょうが、国栖奏は宮中で奉納されていたそうです。 その後、宮中への奉納は途絶えました。 しかし県の無形民俗文化財に指定されたことを機に保存会が結成されて この伝統神事が受け継がれているそうです。 ![]() 神社への入口付近から望む吉野川。 この辺りは「天皇淵」と呼ばれているそうです。 しかしこの天皇淵はおろか、神社への案内板などは一切ありませんでした。 ナビにも掲載されておらず、神社の位置が記されていた地図にも 神社までの道順のデータはありませんでした。 この辺りかと思しき場所の突当りに小さな駐車場がありました。 無料の料金箱に500円投入して駐車。 500円もとるのなら、「浄見原神社入口」の表示くらいあってもよさそうなのですが・・・。 ![]() 少々不安に思いながら森の中に続く径を川沿いに歩きました。 観光課の案内板はこの径の先にあるので、果たして見る人がいるのかどうか疑うような場所です。 鳥居が見えたときはほっとしました。 神社を見つけた感動よりも、500円が無駄にならなくてよかったという思いから・・・。 社殿も崖の岩陰にひっそりと建てられていますが、この辺りも隠れ里のような場所。 観光課の案内板さえ森の中にあり、神社への案内等が付近にないのは、 今でもこの地の人々が大海人皇子をかくまっていらっしゃるからかも知れません。 ![]() . お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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