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テーマ:今日見た光景は・・・(462)
カテゴリ:街
気づけば私もいい年になったが、もちろん私の生まれたときには戦争は終わっていた。戦後20年足らずの私が子供の頃でさえ、戦争体験を語るのはタブーのような雰囲気があり、あまり戦争の話を聞かされた記憶はない。ところが、すでに戦後70年近くが経過し、戦争を体験した世代はすでに80歳を超えている。「戦争を知らない」ことは幸福なことだが、平和の尊さをかみしめるためには、戦争の悲惨さを知らなくてはならない。 若い世代に戦争の悲惨さを語り継ぐための活動を続けている「静岡平和資料館をつくる会」から依頼を受け、太平洋戦争の戦跡に説明板をつけるというお手伝いをさせていただいた(3/31撮影)。
今回取り付けたのは、清水区三保の三保マリーナにある「特攻震洋格納庫」と同区岡町の八幡神社境内の「命をつなぐクスノキ」。 (あと2枚) 震洋(しんよう)というのは、太平洋戦争末期に考案された特攻艇で、ベニヤ板製のモーターボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりするというもの。ゼロ戦の特攻は有名だが、こんな粗末な装備での特攻作戦もあったという悲惨さの物証だ。三保地には13の格納庫が築かれ、現在も9つが残存しているという(1枚目) 。 八幡神社のクスノキは、1945年7月7日の空襲で黒こげになりながらも、数年後にまた芽吹いたという。看板を取り付けると、境内で遊んでいた小学生たちが集まり、つくる会のみなさんがクスノキのいわれを語り伝えていた(2枚目)。
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最終更新日
2013.04.03 18:50:22
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