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ゾルゲ事件で 有名を馳せた 吉河光貞という方が いますが このかたについて
下記のような 史料があります。 http://72.14.235.104/search?q=cache:gwcWSEyf29wJ:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/0488/00505180488022c.html+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84%E3%80%80%E5%90%89%E6%B2%B3&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja そこで法務総裁は現在の特別審査局の局長の吉河光貞という人が、どういう思想檢事的な経歴を持つた人かということについて詳細な報告を受取つておられるか。どの程度の報告を受取つておられるか、これをまず承りたいと思います。 ○殖田國務大臣 私は吉河君がかつてそんなに長く思想檢事をしておつたとは聞いておりません。思想檢事の特徴の著しき人は全部追放されておりまして、残つております人はまず無害な人ということで残つておつたのであります。私はむしろ逆に吉河君はかつて学生時代に左翼思想の研究者であつた。從つて左翼に非常に同情のある人である。ああいう人ではかえつて公正な態度がとれないではないかというような批評すらして参る人があるのであります。從つて私はごく公正な人物で、適当な人であろうと考えたのであります。 ○ 梨木委員 私の調査によれば、今法務総裁のおつしやつたように、吉河氏は学生時代に、その後一時共産党の幹部になつたことのおる田中清玄氏と、帝大の新人会において並び称せられて、学生運動をやつた経驗のある人だということは聞いております。同人の経歴は大正十三年一高に入学して、一高の社会科学研究会の最高指導者であつた、その後帝大――当時の帝大に入りまして、新人会において田中清玄氏と並び称せられて、非常に活発な学生運動をやつておつたということ、それから卒業後評議会関東木材の書記をやつておつたということで、共産党員として活動しておつたこともあるということであります。昭和五年ごろに運動から脱落したということであります。かつてそういう経歴を持つておつたからといつて、左翼運動に同情があるということは言えないのでありまして、かつてそういう経歴を持つておつた人は、その経驗を生かして、非常な辣腕と陰險な方法で左翼運動を彈圧するのであります 田中清玄については CIAのスパイとか 転向は 母の自害ではなく、鍋山貞親の転向の影響によるものなどの指摘がありますが、大学時代の仲間が 対立する 検事にいれば なるーほどという了解できる点もございます。また この方は 暴力団対策にも 力を尽くした方ですが、山口組の三代目が、田中清玄を頼りにした点があったのも、こういうコネクションがあるからだという点をみれば 得心がいく次第であります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ご無沙汰です。
その後14年、占領期を中心に本を読みまくりようやく くれどさんの視点に辿り着けないものかと言うところまで来ました。 古河光貞、興味深いです。 (2020年10月20日 21時27分47秒) |
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