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2007年01月16日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1112.html

大正14年に小樽高商軍教事件がおこった。小樽高商の軍事教練を廃止するかしないかという騒動で、田中は弘前でも廃止せよというビラをまいた。これが最初の左翼っぽい活動だった。このあと東北学連ができて、仙台の東北帝大の島木健作・玉城肇・鈴木安蔵を中心に、そこに水戸高の宇都宮徳馬・水田三喜男、二高から島野武・高野信、山形高から亀井勝一郎・小林多喜二らが駆けつけた。 田中清玄は島野と仲良くなり、無党派ながら活動に励みはじめた。そのころの縁で、宇都宮徳馬にはいろいろ世話になっている。宇都宮はのちにミノファーゲン製薬をおこして衆議院議員10期、参議院議員2期をつとめた。〔宇都宮は事業的にも思想的にも天才で、ずいぶん厄介になったねえ。親父は宇都宮太郎という陸軍大将で、親父の副官がしょっちゅう来ているから情報が入るんだ。日中友好協会なんかは彼のお陰ですよ

この製薬会社が 現在でも発売している商品の原材料が 甘草で 生産地が 日本に近いところでは 中国や 朝鮮半島ということで 発売が ホームページを見ると 1948年になります。いまでも漢方薬の原材料としては 日本に輸入されるものでは 最大のようなんですが 最近は 諸般の事情で 難しくなってきているとか?
終戦時なら 確保はさらに難しかったとおもうのですが、さて
宇都宮徳馬さんというと 左翼の代表みたいな言い方をされますが 一方では 先にもあげましたように 右翼筋の方とも お付き合いがあったようです。幅の広いという見方もできますが、一方で 会社をもっていても 運動にのめりこむと よく会社をつぶしてしまうかたも多いのですが 会社が維持できた点で そろばんもできた方のように思えます。
そこで
このようなつながりから 一時期 右翼の連中が副業でやっていた密輸を通じて 甘草を集めて 大陸に出かけるられるように 政治家になり 大陸の政治家の連中に 利用されるようになったというのが  このかたの本質ではないかとおもいます。
ですから ビジネス第一 政治は第二ですから ある時期まで 自民党にいたのかなとも思えます

田中清玄も キャノン機関と関係があり、また密輸もやっていたらしいのですが、中国、朝鮮半島で 甘草を集め ミノファーゲンに売り また薬莢から いろんなものを中国 や朝鮮半島にもっていった時代があったのだろうかと
そのように 私は推察します。そこが 自伝にも見られる 下記のような場面になっていったのではないかとおもいます。

昭和55年(1980)、田中清玄は50年ぶりに中国に行く。トウ小平と話しこんだ。日中友好協会の孫平化会長が「そもそも天皇陛下の訪中を中国側にもちかけたのは田中清玄さんだった」と1992年にあかすまで、この事実は正確なことが伝わっていなかった。本書も必ずしもすべてが時間順になっていないのでわかりにくいのだが、田中清玄がトウ小平と会い1時間半にわたって話しあい、さらにアジア連盟の構想をぶちあげたことは、いまではよく知られている。田中はそれ以前にスハルト大統領にも日本・中国・インドネシアによるアジア連盟の必要性を訴えていた。





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最終更新日  2007年01月16日 10時29分43秒
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