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皆さん、おはようございます。 今日は「人の心配ごとが気になるのは自分が救われたいから」というテーマで綴ってみたいと思います。 数日間、お休みをしていまして、 このブログの事も気になっていました。 今日書いたら、 明日からまたしばらくお休みさせていただきます。 よろしくお願いいたします。 現在は、 少しいつもと違う環境の中にいまして、 新しい人に出会ったりして、 刺激を受けています。 その目的は、 やはりチャレンジということになります。 いくつになっても新しいチャレンジは大切だと思っていますので、 そのためには能動的に環境を変えてみることは大切だと思います。 実は短い期間であれば、 環境を変えることは、 いつでも可能かもしれません。 その一番可能な方法が「旅行」であると思います。 いつもと違った景色、 違う食べ物、 違う人、 違う言葉、 などなど、 それらすべてが、 自分のこれまでの常識は非常識であったという、 プチカルチャーショックから、 体内が新しい細胞に入れ替わり、 循環し始め、 脳内情報もアップデートされて行きます。 またおもてなしを受けることで、 相手への感謝の気持ちも沸き、 自己肯定感も上がります。 そして新しい気持ちでまた、 これまでの日常に帰ることができることでしょう。 そんな中で、 私はある外国人の若い女の子に出会いました。 彼女は貧しい国から日本にやってきたようです。 日本では各地を転々とし、 現在は、ホテルのベッドメーキングの仕事をしているとのことでした。 若くて美しい容姿なのに、 そんな仕事をさせられているなんて、 可能性を秘めた若い子に、 何とも日本もブラックだな、なんて、 最初は思っていたんですが、 良く聞いてみると、 ビザの関係でどうやら、 受け入れが大変そうな感じだろうと推測しました。 そして祖国の両親や兄弟に会いたいけど会えない、 一人ぼっちでいつも買い物に行っている、 お給料が来るのが遅いなど、 次々に彼女は私に訴えかけてきました。 そして私はいつものように「傾聴」していました。 そしてかつての私なら、 今後の彼女の人生を憂い、 なんとかしてあげようと動いてしまっていたかもしれません。 ですが私は途中で心を鬼にして、 彼女の話を聴くのをやめたのです。 それはなぜかと言うと、 この問題を私が何とかできないかと思ってしまったからです. それはかなり一人よがりな自分の思考癖であり、 そんなことは言ってる本人も思ってないんですね。 実際は、ただ聴いて欲しいだけだったりします。 この、他者の心配ごとを自分の事のように捉えて、 救ってあげようとする思考は、 「救済者思考」と言って、 実は他者に対する依存心の表れだったりします。 実際は誰かを救済することで(実際は救済することはできない)、 自分が救われたいと思っているのです。 このロジックがわかった時、 自分が利己的であったことにも気づきました。 もちろん、相手に共感することは悪いことではありません。 でも自分にできるのはそこまでです。 そして、そういった事に対する対応は、公の機関などが行うべき仕事なのです。 自分には他者を「直接」救う力はないのです。 そしてそうやって過去の自分と同じまま、 同じ思考で動いてしまったら、 この環境を変えるチャレンジは、 全く意味のないものとなってしまいます。 若いのに知らない国を転々としている彼女思うと心が痛いですが、 それは私の問題ではない事をもう一度頭に叩き込み、 私は私のチャレンジに集中し、 自分を大切にすることだけを今は考えようと心を新たにしました。 「自分を大切にすること」 「自分を喜ばせてあげること」 そうして自分がハッピーな気持ちで生きること、 それこそが、 実は周囲の人のためになっているのです。 そしてまだまだ若い彼女を心の中で応援しています。 それでは皆さん、良い一日を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.11 20:39:19
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