170974 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

白毛山凡人の写真俳句

白毛山凡人の写真俳句

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2023.08.02
XML
カテゴリ:寺社彫刻
夏祭り今年こそはと屋台の龍

 桐生市の巨大屋台です。正面の柱の間隔は約3.6m奥行きは6.4m高さは6.6mほどです。
 写真の両袖は彫番で開閉でき双方を広げる間口は7.2m以上にもなります。閉めた状態でも大型ダンプの1.5倍以上の幅がありますから道路の運行は容易ではなくすれ違いは不可能です。
 桐生には本町の各町内に一台、計6台ありますが。組み立てるだけでも膨大な費用が掛かり今年は2丁目の屋台準備しています。

 二丁目の屋台は現在は二代目、明治35年に完成しました。欄間彫刻は長さが二間ありこれほどの力作は通常の寺社にもほとんどありません。担当したのは高松政吉、日光の寛永の大造替に腕を振るった寺社彫刻の祖、高松又八郎の末流に当たります。
 あまりなじみはないと思いますが6丁目の浄運寺の前机に「石原常八・改之介・鶴次郎」の刻書があります。ここにある鶴次郎が政吉のことで当時は20歳です。常八は父で師匠の石原常八主利、改之介は兄で尾島の正光寺に「御用彫師高松義武 八代 石原知信」の銘を残し、後に尾島の高澤家に養子に入り、名を甲斐之介として優れた作品を残しています。この頃は祖父の常八主信がまだ元気で先の浄運寺にも作品を残し、石原三代の作品が見られます。
 そればかりではなく浄運寺の正面の「目抜きの龍」は最近の研究で石原吟八郎ではないかと思われる所が指摘されています。吟八郎は先に書いた御用彫師高松義武のことで、石原吟八郎義武です。

 安政年間、常八主信と岸亦八は協力関係ができていて妻沼の聖天堂の貴総門では亦八も常八親子に協力したのではないかともいわれています。
 鶴次郎も15歳の頃二つ下の幸助と共に亦八の元に師事しています。幸助はその後亦八の婿養子で二代目の太七の婿養子となり、岸家の三代目を継ぐことになる。
 鶴次郎は明治初期から横浜に入り家具製造商高松政吉として中心的に活躍していた。二丁目屋台制作の頃岸家の二代目太七も三代目幸助も亡くなり、幸助の息子「四代目寅次郎」は38歳、伯父の政吉が面倒を見た形になったのではないだろうか。寅次郎はこの二年後横浜に移り、伯父の所に見よ寄せることになります。

 上の目抜きの龍は大間々の杉森神社の拝殿です。小ぶりでそれほど厚くないから丸彫りの様な要領で彫られています、虹梁も彫った物を張り付けたものではなく浮き出るように彫ったものです。
 小さくても幕末から明治に作品の中でも優れた作品であることは間違いありません。
制作は明治42年とされています。彫工の名は見当たりませんが最近の調査で「高松政吉」ではないかと思われる所が出てきました。まだ調査中ですがお楽しみに。


 裏側でほとんど目に触れないところもきちんとした仕事がされています。

にほんブログ村 ポエムブログ 写真俳句へ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.02 18:32:03
コメント(4) | コメントを書く
[寺社彫刻] カテゴリの最新記事


PR

Calendar

Category

Comments

bonnto@ Re:ネモフィラの(04/27) New! 太郎ママさん。おはようございます。 北…
太郎ママ@ Re:ネモフィラの(04/27) ひたち海浜公園へ行かれたのですね。 ネモ…
bonnto@ Re:ネモフィラの(04/27) 笑子さん おはようございます。 潮の香…
笑子♪@ Re:ネモフィラの(04/27) わ~!!きれいですね!!! 連休前に行け…
bonnto@ Re:春爛漫・・・(04/08) 笑子さん おはようございます。 よく見…

Keyword Search

▼キーワード検索

Free Space

←よろしかったらポチっと応援を

  あかがねの道へ

© Rakuten Group, Inc.