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カテゴリ:YS超神霊の摂理
親子の信頼関係が戻れば、人間に戻れると。動物のヒトではなくなると。
交換・取り引きの現実しかない: 先程、私を悩ませ続けている悪霊どもが、変な事を言ったので、その考えの過ちを訂正致します。それらは、私に背負わせる事によって、自分の1円が成立すると言ったのです。とんでもない事です。そんな現実は勿論、有り得ません。それらは女の意識なので、男に背負わせる事で、自分の現実が成立すると思っているようであると。この考えは勿論、間違っています。本来の世界には、意識だけしかいないからです。女と男の違いは、徳の量の違いと。深見東州氏は、女の子は数千万功、男の子は1億数千万功の徳の支払いによって、授かるのだそうです。 しかし、勿論、自我が発生するまでは、女の子と男の子の区別は無い。自我が発生し出すと、女の子は、男の子の下の地位をやる者もいると。勿論、やらない者もいるのです。スカートを穿いたり、フリルの有る衣服を身に付けたりすると。勿論、そういう自我を持たない者も一杯いるのです。女の意識が無い者達は、そういう自我は持っていない。スカートを穿いていても、気持ちの上では、女の意識ではない者などいくらでもいるのです。男の下の地位ができない、やれない者達と。その場合、形だけ、格好だけと。大体、小学生は先ず、女ではないと。女の意識を持っていないと。中学生も女ではないと。高校生も女ではないと。私の感覚では、大学に入って、(私の場合は、慶大ですが)、初めて、女の意識を感じました。男の下の地位をやっていると。即ち、男に自分を背負わせている、男に社会的地位の、即ち、金の支払いをしているという事です。これをやっているのが女なのです。(自分の学費・生活費等の人生の地位の支払いを致しているという事です。) これの発展したのが、男女の肉体関係なのです。何を伝えたいのかというと、女と肉体関係を持つというのも、女が背負わされている金、社会的地位を背負うという事だけなのであるという事です。青春というのは、気持ちの関係だけ。精々、手を繋ぐ程度と。しかし、犬は、ペットは、ルーシェルは、動物のオスは、この金を背負っている女の虜(とりこ)にされてしまうと。Kin○i Ki○sと。その魅力のもとが、単なる金の人生の地位であるという事が認識できないレベルと。即ち、信用貨幣制度の担任ができていない存在という事です。大人に成れば、一人前の社会人に成れば、それが、単なる金の魅力であったと認識できると。 私は、金、社会的地位と書きました。これが私のレベルだからです。金というのは、信用貨幣なのです。そして、私の場合には、社会的地位なのです。贅沢ではないのです。即ち、私の言っている金というのは、文化文明上の人生の地位の事なのです。現金の事ではないのです。世の中には、金持ちでも、下賤な者もいるでしょう。勿論、その物達は、人生の意味・目的など殆ど分かっていないのです。私は婚前セックスは絶対にしてはならぬと言っています。勿論、浮気・不倫も。しかし、その物達には、おそらく、意味不明でしょう。 婚前セックスを悔い改めないと、神に繋がらないという事など分かっていないでしょう。神の立場など分かっていないから。父母ー祖父母ー曾祖父母ー…という縦系統の頂点にいるのが神の立場だから、婚前セックスをして、自分の父母との信頼関係を断ち切っている物を受け容れる事など絶対にできないのです。分かりましたか。婚前セックスを悔い改めなければ、地獄界から抜けられないという事が。親子の絆が戻らないから。 これが人間の道の基本です。そして、これが統一原理なのです。だから、統一教会は泣く教会と言われていたのです。断ち切られていた親子の絆、先祖と子孫との絆が回復するから。神が赦すと。 話を戻します。私がサタンを背負うという現実は無いのです。交換・取り引きの現実しかないのです。お金が成立するという現実は無いのです。お金は、単なる仲介物。一方的に背負わされる、或いは、一方的に背負わせるという現実は無いのです。交換、或いは、取り引きの現実しか無いのです。或いは、交流と。交流する事によって、相互に影響し合うと。どちらかが、どちらかを背負う、背負わされるという現実は無いのです。世の中に、上下関係など有るわけないから。職務上の上下関係は、退職したら終わりと。或いは、プライベートでは関係無いと。元上司への副担任行為はやらないから。 蛇(HT)校長を踏んで、背負わされるという事は、しないのです。する必要も理由も無いから。支払いされないものは、得ないと。世の中、支払いされないものなどいくらでもある。 http://plaza.rakuten.co.jp/abc2xyz/diary/200908200001/ Re:原点(08/20) 聖勇rakutenさん 「目には目を! 歯には歯を! 牙には牙を!」というのは、原爆を落とされた広島・長崎の方々が言う事であると私は思います。原爆を落とした米国人に対して、対等な人間であるという事を主張するという事であると私は受け止めます。 勿論、広島・長崎の方々がそれを主張しても、日本人全体はおそらく、聞く耳を持たないでしょう。米国人と対等であるというプライドを持てないであろうと私は見ています。 しかし、もし、広島・長崎の方々が、それを主張できれば、世界の方々の彼らに対する目は、変わってくるでしょう。そうなれば、やがて、米国人から、原爆を落とした事への御詫びがいただけるのではないかと。これが本来の姿であると我は思います。経済関係ではなくて、人間関係をやれる国と国との関係ができれば、本来の姿に一歩近づけたと思われます。 以上、私の独り言です。(2009.08.20 14:42:45) 私のヒトの堕落観は、先ず、性別変更と。次は、身体障害者と。その次は、犯罪者と。これが、信用貨幣の現実支払いをしないヒト達が堕ちていくプロセスであると私は思っています。信用貨幣上、バーチャルリアリティ(仮想現実)上、身体障害者にまで堕ちなければ、犯罪者にはならないと。自暴自棄にならないからです。国家規模で、身体障害者にまで堕ちると、次は、戦争を始めると。他国のヒト達を犯し返す事に対して、罪悪感を感じなくなるからです。否、当然であると思うからです。そのココロは、神を完全否定していると。神は弱肉強食の存在であるとしか思っていなくなっていると。 何故、性別変更をしたのか。それは、婚前セックスをしたからです。何故、婚前セックスをしたのか。それは、父との信頼関係をやっていなかったからです。親子の信頼関係をやっていなかったからです。父との信頼関係をやっていれば、婚前セックスという反社会的行為・非社会的行為をする事はできなかった。私の中では、こんな最低限の事は、当然・常識なのですが、今の日本国は、とっくの昔に、このレベルすら、やれなくなっていると。こんなレベルは、地獄に堕ちない最低線なのですが。(婚前セックスを悔い改めていない物達は、勿論、皆、地獄にしかいないのです。幽界にすら、いる事ができないと。) 親子の信頼関係が戻れば、人間に戻れると。動物のヒトではなくなると。人間に戻れれば、きっと、戦争はしないと思われます。何故か。自分にも家族がいるように、相手にも家族がいるからです。その相手の家族を傷害する、或いは、殺害するという事は、その報いで、自分の家族も、やがて、傷害される、或いは、殺害されるという事になるから、やらないという選択になるのです。 以上、私を犯している全ての方々に、謹んで、御報告致します。090820 15:14。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.21 23:02:59
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