交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)について
交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)本殿二棟(交野天神社・八幡神社)は国の重要文化財である約4,000坪の境内は鬱蒼たる樹林があり古色蒼然、神さびた雰囲気に満ちている現在に残る貴重な鎮守の森である先日の樟葉から石清水八幡宮へのウォークの途中、ここを通りかかった記憶にあるだけで5~6回は訪ねているところがそのいわれが全く頭に入らない読み方も「かたのあまつかみのやしろ」が正しいと言うが、「かたのてんじんしゃ」だと思い込んでいたのだから・・・これは歴史に詳しい同行のT氏に教わったそんな訳でいまさらという思いもあって写真は入り口の案内板しか撮らなかったそれがまたよりによってピンボケと来ているから始末が悪い記事に写真のない言い訳である(笑)今度の楽歩会では少し説明がきるようにと目下、にわか勉強に励んでいる本殿の概略はインターネットで調べると以下の通り本殿は、一間社流造、檜皮葺で鎌倉時代の嘉禎4年(1238)と室町時代の応永9年(1402)に修理され、嘉吉2年(1442)鎧葺(よろいぶき)を檜皮葺に改めた。全体の外観は雄大な手法で鎌倉時代の様式を残し、蟇股等の彫刻は繊細で美しいものが多く室町時代初期の特色を備えている。次に訪ねる時にはその蟇股(かえるまた)なるものもしっかり見学しなくては!当地はまた継体天皇樟葉宮跡伝承地でもある『日本書紀』は、越前三国にいた男大迹王(おおどのおう)が樟葉で西暦507年即位して第26代継体天皇となり、5年にわたり宮を営んだと記している。 樟葉宮跡の位置は不明だが、交野天神社の社に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ、小丘の麓に「 此附近継體天皇樟葉宮址 」の石碑や史跡「継體天皇樟葉宮跡伝承地」の石碑が建っている。苦手ということはどうしようもないこういうことを頭に叩き込むのは至難の業前述のT氏に同行をお願いした方が良さそう最初からあきらめ気味の心境である(笑)