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2008年06月19日
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カテゴリ:原油問題ABC

 OPECという言葉を聞くだけで感慨深いものがある。長年、その動向を追い求め、そして何回もウィーンのOPEC本部を訪ねた。

OPEC本部

 自分なりにOPEC像を描くことが出来たが、それは定まったものではない。組織は全て同じだろうが、指導者、構成員などにより大きく変わるし、組織を取り巻く環境の変化により大きく変貌する。OPECについてもそうだった。特に、OPECの目的が加盟各国の石油収入を極大化することにあるので、原油価格の高い時、低い時、その価格・生産政策は変わる。そうではあるが、「OPECとは」に応えるべき基本的回答は持っている。
 OPECは、資源ナショナリズムの高揚を受け、原油価格防衛のために1960年に設立された。当時、原油価格はセブンメジャーを中心とする国際石油資本により決定されていた。彼等は生産コストの低下、需給などを勘案して原油価格引き下げに踏み切っていたが、それは産油国の石油収入を低下させることになったので、産油国は引き下げに抵抗し、自分達の取分を引き上げるためにOPECを設立したのである。当初はあまり成果を上げることが出来なかったが、それから13年後に発生した石油ショックを機に、ついに価格決定権をメジャーから取り上げ自分達の手の中に入れることに成功するのである。それから逆オイルショックを経験する1980年代初頭までは、世界に君臨し、石油関係者はその一挙一動を追うことになった。
 逆オイルショック後は、非OPEC産油国の台頭、市場シェア低下などにより、価格決定権を喪失して行き、スポット取引の拡大を背景にした先物市場の開設などにより、1988年には市場の動きに従わざるを得なくなった。その後、暫くは低迷が続くが、石油需要の増大、非OPEC産油国の低迷を背景として勢いを取り戻した。OPECは復活したのである。
 PCに向かい合うだけで、このようなことが頭に浮かぶ、ここでは整理するということではなく、思いつくままにOPEC論を展開してみたい。






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最終更新日  2008年06月19日 20時06分58秒
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