街歩き・東京 「松濤 美術館周回」
今日は街歩きが主眼ではない。戸栗美術館の「初期伊万里展」と松濤美術館の「田渕俊夫展」を見に行くついでに一回りしようということである。 渋谷駅ハチ公前交叉点。 (2012/6/19 9:54) 出発は渋谷ハチ公前、9:53である。スクランブル交叉点を渡って駅前通(通りの名を知らない)を北に歩き、マルイの手前を左折、パルコの方へ歩く。 80年代の渋谷は、パルコに代表されるいわば虚構空間で、「およそおしゃれな都市の体裁を整えていないということと、にもかかわらず、若者の街というイメージで、非常に中心性・特権性を帯びて表象され」ていたのに、「いまの大学生とかに聞くと、そんな重要な都市ではなくなっている」 [1] と北田暁大は語っている。 もちろん、ずっと地方都市で暮らしてきた私に、そのような渋谷を通して見える時代の変化の感受力はない。いくぶんかの異和を感じる都市風景というくらいでしかない。 井の頭通り。 (2012/6/19 10:03) パルコの手前の路地を左折し、雑多な様式の建物が並ぶ坂を下って井の頭通りに出る。つまり、散歩気分もあるので、戸栗美術館へ向かう前にわずかばかり遠回りをしたのである。 井の頭通りをまっすぐ上がり、「神南小下」交叉点を過ぎた辺りで左の路地に入る。細い道を辿っていくと、小川の跡でもあろうか、歩行者専用の道があってずっと歩いて見た。 宇田川町の専用歩道。 (2012/6/19 10:10) 適当なところで神山町商店街の通りに出て、観世能楽堂、戸栗美術館のある松濤へ上がろうと思っていたのだが、歩行者専用道を調子よく歩いてしまって、観世能楽堂への分岐交叉点を過ぎてから神山町商店街通りに出た。まだ先だと思い込んで通りすぎたまましばらく歩いてから気づいて引き返したが、まぁ、これも散歩のうちである。 観世能楽堂への坂道。 (2012/6/19 10:20) 「神山町東」交叉点から観世能楽堂への坂道を上がる。能楽堂を過ぎ、坂道を上がりきれば戸栗美術館である。前に来たときはこの逆コースを辿ったのであった。 戸栗美術館。 (2012/6/19 10:23) 戸栗美術館での初期伊万里の作品鑑賞に要したのはほぼ1時間、次は松濤美術館である。松濤の静かな高級住宅地、松濤中学校前を過ぎると左手に鍋島松濤公園が現れる。坂を下り、公園に入る。 写真の左手に広場があって、幼い子供連れが5,6組、集まって遊んでいる。人相風体、十分に不審者の資格を満たす私としては、できるだけ素早く通りすぎようとしたのである。ところが、寝転がれないように施されたベンチに、体を丸めて強引に寝ようとしている一見サラリーマン風の人や、ベンチでぼんやりしている(私よりずっと若い)中年男性もいる。 相対的にいえば、私の不審度はそんなに高くなさそうである。東京に出て来て唯一ほっとするのはいつもこんなことである。東京には何でもある。東京にはどんな人間でもいる。私なんかどう力んでもごくごく平凡なものである。田舎者にはそう見えるのだ。 鍋島松濤公園。 (2012/6/19 12:03) 鍋島松濤公園から松濤美術館は眼と鼻の先である。田渕俊夫という日本画家の名は、恥ずかしながら初見である。もちろん、私が名前を知らない画家はたくさんいる。三日前に損保ジャパン東郷青児美術館で観たフランスの画家、アンリ・ル・シダネルも初めて聞く名だったのである。 松濤美術館は、こぢんまりした良い美術館である。真ん中に池があって吹き抜けになっており、その吹き抜けの円筒の空間を囲むように展示室が配置されている。2楷と地下に分けられた展示を30分ほどかけて見終わった。 渋谷区立松濤美術館。 (2012/6/19 12:32) 松濤美術館を出てからどうするか、まだ決めていなかった。午後から雨が降るという天気予報だったので、決めかねていたのである。とりあえず、道玄坂へ出て昼食を採ってから、ということにした。 美術館を出て、京王井の頭線「神泉」駅に向かう。駅を回って坂を下ると、井の頭線が地下から顔を出したところに踏切がある。踏切や橋は渡るべきものである、という何とない思い込みがあるのだが、道玄坂方向とは逆なので、やむなく右折した。 神泉駅手前で顔を出す京王井の頭線。 (2012/6/19 10:38) 道玄坂上交差点に出る坂道。 (2012/6/19 12:39) 神泉駅踏切から道なりに左へ折れると、ゆったりとカーブする細い坂道はそのまま「道玄坂上交番前」交差点に出る道であった。この細い道にも、昼飯時と言うこともあって、たくさんの人が出て来ている。10人ほどが並んでいる小さなお弁当屋さんが坂の途中にあったりする。 「道玄坂上交番前」から渋谷駅方向。 (2012/6/19 12:44) 私も昼食を採る店を探さなくてはならない。「道玄坂上交番前」を渡り、渋谷駅方向に坂を下っていくと、「朝日屋総本店」という蕎麦屋さんがある。昨日も蕎麦だったけれど、やはり今日も蕎麦にする。昨日は「大せいろ」だったので、今日は「大ざる」である(たいして変わらないが)。おいしかった。問題ない。東京の蕎麦のレベルは、やはり高い。 蕎麦店を出ると、ぽつぽつと降り出した。東京4日目、多少の疲れもあって、もうおしまいとする。昼時の混雑する道をひたすら急ぎ足で、なんとか濡れずに渋谷駅に滑りこんだ。[1] 東浩紀・北田暁大『東京から考える』(日本放送協会、2007年) p. 41。