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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2018.04.13
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テーマ:街歩き
カテゴリ:街歩き

 10年ぶりにジョルジョ・アガンベンの『ホモ・サケル』を読み直してみた。プレカリアートの政治意志の表象としての集会、示威行動を論じた『アセンブリ』のなかで、ジュディス・バトラーがプレカリア-トをアガンベンの「剥き出しの生」概念に還元することを微妙に拒否していたのが気になったためである。
 しかし、最初の意図はどこへやら、まったく別の主題に引っかかってしまった。読みだしてすぐ、『ホモ・サケル』の序に「生きることのために生まれたが、本質的には善く生きることのために存在する」というアリストテレスの言葉が引用されている。それは、まるで『アセンブリ』でバトラーが引用した「偽りの生の中にはいかなる正しい生も存在しない」というテオドール・アドルノの言葉に照応しているのだった。
 かつての私だったら、「善く生きる」だの「正しい生き方」などという言い回しにあまり好感を持っていなかったし、そのような記述があれば急ぎ足で通り過ぎるように本を読んでいたように思う。なんか思考があいまいになるような気分がするのである。
 とはいえ、アガンベンは「善く生きること」を拒否され、ただただ「剥き出しの生」を生きるしかない人々の歴史性を取り上げ、その現代的表象としてのアウシュヴィッツまで論を進めるのだし、バトラーはアドルノの引用を「正しい生活の探求は、正しい政治の探求である――もし、このような正しい政治が今日そもそも実現可能な領域にあるとすれば――」という言葉にまで進めたうえで「われわれ人民」の非暴力的政治行動(公共空間へ集合(アセンブリ)や路上の占拠など)の論理を展開しているのだ。
 かつて読んだ本を読み返すと、主題の構造が少し変化して見えたり、理路のアクセントが微妙に異なることがよくある。もともとどこかに理解不足があるためだろうが、こちらの人生や読書の経験がそうさせる要素もあるだろう。だから、読み返してみることは大切だと思うのだが、そうすればそうしたで、新しい本を読む時間が減ってしまう。老いてくると、読書もそれなりに悩ましいのである。

​ さて、「書を捨てて街へ出よう」(寺山修司)というわけではないが、『ホモ・サケル』を閉じて金デモに出かけたのである。​






勾当台公園から一番町へ。(2018/4/13 18:30~18:37)


 集会は午後6時から、デモは午後6時半からとなっている勾当台公園に着いて、まだ咲き残っているソメイヨシノらしい桜を眺めながら野外音楽堂に着くと、もう集会は終わってデモに出発するところだった。
 どこで計算違いをしたかわからないが、だいぶ余裕があると思ってのんびり歩いて来たので、少しばかりあわてた。それで、写真はデモの列を整えているところが最初の1枚なのである。






一番町(1)。(2018/4/13 18:42~18:48)


 一番町は、今日も人出で賑わっている。この街の賑わいを、私はどうも誤解していたようだ。デモの列から大勢の通行人を眺めては、休日だから、年の瀬だから、あるいは新年度だから混みあっているのだと思っていたのだが、どうもそういうことではないらしい。
 午後から暮れ方にかけて人出が多くなるのは、いつものことらしい。そして、その混み具合いは、一番町は定禅寺通りから藤崎前まで、そこからは中央通りを駅まで人波が続いているようだ。青葉通りや広瀬通りを歩きている人もいるが、その差は歴然としている。
 かつて東京では、新宿が賑わい、それが渋谷に移り、次は池袋に代わるなどと言われていたように思うが、そのような商業的な戦略が一番町や中央通りへの集中を促しているのだろうか。そしていつの間にか、昔からの仙台の商店、企業が消え、そこにはどこの都市にもある中央資本の店がずらーっと軒を並べている。デモの写真の背景に写る街並みから仙台を見つけるのは難しくなった。






一番町(2)。(2018/4/13 18:51~18:53)


​ 一番町を行くデモから通行人に呼びかける今日のメッセージの中に次の一文があった。​


​​ 4月5日、東海第二原発の再稼働に必要な費用に関して、東京電力と東北電力が経済的支援を表明しました。しかし、東海原発をもつ日本原電は、現在すべての原発が動いていません。東北電力など大手5社が年間1000億円以上にものぼる支援をして生きながらえているゾンビ企業なのです。私たちが東北電力に支払った電気料金が、結果的に日本原電を助けてしまっているのです。今回の経済的支援の決定は、これに加えて、私たちの電気料金が、東海第二原発の再稼働のために使われることを意味しています。みなさん、こんなことがはたして許されるのでしょうか?​​


 この東京電力の愚行のニュースについては先週の金デモのブログで触れたのだが、破綻企業がほかの企業に大規模な融資をするという経済原則を完全に無視した経営手法が許されているのは、原子力事業そのものがまるごと自公政権の国家戦略としてあるためだ。
 モリカケ疑惑(安倍夫婦疑獄というべきか)の真相が次々と明らかになって、安倍政権は崖っぷちに追い込まれ、今はひたすら安倍自公政権の瓦解を今か今かと期待が膨らんでいる時期だが、そのプロセスの中で、このモリカケ疑惑の中心にいて舞台回しをしたのが内閣府にいる安倍首相の側近官僚たちであることが明らかになってきた。
 加計学園疑惑について、「これは首相案件だ」と愛媛県や今治市の役人に言ったのは、当時の首相秘書官だった柳瀬唯夫という役人だった。この人は、第1次安倍政権の時には通産省の原子力政策課長で「原子力立国計画」なるものをでっち上げている。そして、その「計画」に基づいて第2次安倍政権で強引に原子力政策を推し進めているのが同じ通産省出身の今井尚哉首相秘書官である。こうした役人たちが絵を描いて、例えば、東芝はウエスチングハウスという不良資産を背負い込まされ破産の淵に立たされるというストーリーなどが進められたのである。日本国家の政策の大いなる負の側面を代表する役人たちである。もちろん、この今井秘書官は現在のモリカケ疑惑の舞台まわしの中心にいる人物でもある。
 こうしてみると、首相官邸に巣くう政治的犯罪の中心人物たちは、福島事故を無視するかのように(つまり、福島事故の犠牲者はいないかの如く)、強引な再稼働政策や汚染地域への強制帰還政策を推し進めている中心人物とそっくり重なるのである。
 結局、通産省の原子力マフィアが首相側近となることによって、教育政策に手を突っ込み、政治犯罪としての「首相案件」をごり押ししてきたということなのだ。福島事故の犠牲者を敢然と無視する非情な原子力政策を押し進めることができる犯罪的な心性にとって、不正な政治的手段で森友学園や加計学園に国税を横流しすることなど何ほどのことでもないのだろう。
 日本の政治悪の中心には通産省原子力マフィアがうようよと蠢いているのだ。







青葉通り。(2018/4/13 18:54~19:00)


​ 明日は、東京では安倍内閣総辞職を求める大集会がある。仙台を始め、全国でもそれに同期する運動がたくさん行われるだろう。​

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「正しい生活の探求は、正しい政治の探求である」(アドルノ)
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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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Last updated  2018.04.15 08:41:16
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