山行・水行・書筺 (小野寺秀也)
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小野寺秀也
小野寺秀也の山歩き、街歩き、川釣り(ヤマメ、アユ)の記録です。原子力工学を学んだ者の責任として、脱原発デモにも参加しています。
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仙台三越の裏路地から一番町を横切って、稲荷小路に入った。稲荷小路は、平行に走る国分町とともに夜の飲食店街として賑わっているところである。 酒ばかり飲んでいた私の学生時代には稲荷小路が中心だった。国分町にもポツポツと飲食店があったが、繁華街から少しはずれた人通りの少ない薄暗いところというイメージがあって、私はなんとなく避けていたという記憶がある。 当時は、一番町と稲荷小路の間には人二人がかろうじてすれ違えるほどの狭い路地が何本もあって、両側には5、6人で満杯になりそうな小さな店がびっしりと並んでいて、私はその一軒に入り浸っていた。今ではその路地はすべてなくなり、ビルに変わっていて、私には通いつめた細い路地がどこだったかも判然としないのだ。 今の国分町には地下から7、8階の上までびっしりとバーやらクラブやらが入っているビルが立ち並んでいる。30年ほど前に教え子の一人に案内されてそんな店の一つに連れて行ってもらったことがあるが、似たようなビルばかりでどのビルの何階だったかも忘れて二度とその店には行けないのだった。昔のように、路地をふらふら歩いていれば記憶がおぼろな店でも見つけることができた時代とは次元が違う(文字通り店の配置が2次元から3次元に変わった)と言えるほどに変わってしまったのである。 写真にその一部が写っているが、稲荷小路にはその名前の由来である豊川稲荷という小さな神社がある。日本の二大稲荷は伏見神社と豊川稲荷ということらしいが、前者は神道系、後者は仏教系ということだそうだ。その豊川稲荷は「豐川吒枳尼眞天」をまつる神社で、その名前が書かれた旗竿が何本も飾られていた。私には「吒枳尼」という字が全く読めなかったのだが、由緒書には親切なことに「とよかわだぎにしんてん」と仮名がふってあった。由緒書にはもう一つ仮名をふった言葉があって、それは「尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(おんしらばったにりうんそわか))という「お稲荷様のご信言」だった。ちょっと勉強になったが、とても覚えられないし、頑張って覚えてもすぐに忘れるだろう、そんな気がする。 夜の飲食店街なのでそれらしい雰囲気を出すためには夜の写真を撮るのがいいだろうとずっと思っていたのだが、老いて病を得て療養中の身としてはそんな時間帯はひたすら眠ることも病人として大事な終活の一つなので、なかなか実現できなかった。 三越裏から稲荷小路に入ったのが16時40分ぐらいで日の入りまでは20分もないのだが(2月1日の仙台の日の入りは16時59分である)、暮れ残りがまだまだ明るいので、薄暗さが増すまで稲荷小路、国分町を歩き回って被写体を探しながら時間をつぶそうとも思ったのだが、なかなか暗さは深くならず、帰宅して夕食を作らねばならない時間が迫るということもあって、10分ほど後には撮影を開始した。この年になっても、気短で忍耐強さに欠けたままなのだった。 薄暗いこともあって、解放絞りが1.8という35㎜の単焦点レンズだけを使ったが、撮影条件はまったくの手探りである。
読書や絵画鑑賞のブログ かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也) 日々のささやかなことのブログ ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫