テーマ:歴史(46)
カテゴリ:政治 政治史 行政
以前、八月十五日、すなわち終戦の日に、とあるメーリングリストに「敗けて悔しい」と投稿したことがある。 どんな反応が返ってくるのか興味があったのだが、案の定「小林よしのりの本を読んでかぶれてるんじゃないか」といった返事をいただいた。 あいにくだが、小林よしのりは「東大一直線」以外に読んだことがない。 返事をくれた人は左翼的思想の持ち主のように見受けられたが、その他のそういったイデオロギーに無関心な人でも恐らく「戦争で負けて悔しい」という意見に対しては端から拒絶反応を示すと思われる。 しかし、なんであれ「敗けて悔しい」と思うのは自然な気持ちであり、そう思えないとしたらどこかが異常なのである。 僕は「敗戦で悔しいと思わない気持ち」のどこが異常なのかを知りたいと思うのだが、世間一般の人は「戦争」と聞いただけで思考が停止してしまうようだ。 「戦争=絶対悪、絶対反対」という壁の向こう側に何があるのか知ろうとしない、もしくは壁の向こう側の存在すら知らないのではないか。 戦争はしないで済めばそれが一番良いと思う。そのためには歴史に学ぶべきで、「軍の独走に迎合、あるいは大勢に順応してあえて抵抗しなかった人は国を誤った人であり、ムダではあったが多少とも抵抗した人は良心の人であり英雄だったというだけの史観」からは本当の教訓は得られないのではないか。 Break on through to the other side!
岡崎久彦「外交官とその時代」シリーズ全五巻 陸奥宗光とその時代 小村寿太郎とその時代 幣原喜重郎とその時代 重光・東郷とその時代 吉田茂とその時代 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月21日 18時56分04秒
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