テーマ:歴史(46)
カテゴリ:政治 政治史 行政
「南京事件」と言えば多くの場合支那が戦時宣伝した「南京大屠殺」のことを指すが、他に二つの「南京事件」が存在する。
南京大屠殺の戦時宣伝は欧米列強、ことに亜米利加の対日感情を悪化させ援助を引き出すことが目的であったが、岡崎久彦はこれを「歴史の大きな流れに何の関係もない」と切り捨て、「戦後史」の範疇で捉えている。 それでは他の二つの「南京事件」はどう扱われているのか。「幣原喜重郎とその時代」を見ると袁世凱の軍が起した方の「南京事件」は取り上げられていないが、蒋介石軍の方は「第十一章 潮の変わり目」に幣原外交が国民の支持を失う契機となった事件として描かれている。 日本国民を激昂させた事件の内容を見てみよう。
荒木大尉は事件の後、重巡洋艦「利根」の艦長室で「日本の軍人として屈辱に堪えない」との言葉を残し割腹したとのことです。
[一] もう一つの南京事件 日本国民の激昂が、国家の進路を転回 [二] 幣原外交の意味 岡崎久彦「外交官とその時代」シリーズ全五巻 陸奥宗光とその時代 小村寿太郎とその時代 幣原喜重郎とその時代 重光・東郷とその時代 吉田茂とその時代 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月22日 14時54分19秒
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