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昨日の続き。〈ライブ8の深層(三)英国式無銭外交 二〉に登場するジュビリー二〇〇〇の具体的な活動例として、 〈ジュビリー二〇〇〇の日本非難〉を紹介する。 ジュビリー二〇〇〇は平成八年(西暦一九九六年)にイギリスで誕生したNGO(非政府組織)で、イギリスの政策と照らし合わせるとイギリス政府と連携し、イギリスの国益を第一に考えた活動をしている団体らしい。 昭和四十七年(西暦一九七二年)、大統領選を控えたニクソン大統領が、ベトナム戦争で行った「枯葉作戦」に対する非難の目をそらし、再選を計るために市民運動家に金をばらまいて捏ち上げた「捕鯨禁止運動」を彷彿とさせるものがある。 ジュビリー二〇〇〇の日本非難七月四日の朝日新聞夕刊に、日本人としては正視するに耐えない、全面広告がありました。 巨大な「¥」のマークにアフリカ人と見られる子供が磔にされている絵が大きく掲載されています。一目見ただけでは何のことなのか、何を訴えているのかよく分かりませんでした。 注意して一番下のところを見ると小さな字で、「日本をはじめとする先進国への債務返済と引き替えに、最貧国では一分間に約十三人の子供の命が犠牲になっています」とあって、ようやくこの意見広告の意図するところが分かりました。 この広告は、ジュビリー二〇〇〇ジャパンと言う団体が、最貧国に対する債権放棄を訴えている意見広告で、それに賛同する多くの日本人の名が記されていました。 「債務返済と引き替えに」となっていますが、「引き替え」とはどういう意味なのでしょうか。日本は何か高利貸しのようなことをしたのでしょうか。高利の借金のカタに子供の命を奪うようなことをしたのでしょうか。 決してそうではないはずです。低利の融資であるにもかかわらず、返済が行き詰まったのなら、その行き詰まった原因があるはずです。戦争とか、部族抗争とか、天候不順とか、農業政策や開発計画の失敗とかがあるはずです。 一分間に十三人の子供の命を奪っている悲劇の責めは、それらの原因に帰すべきであり、日本の融資に責任を転嫁するのは不当です。 住宅ローンを払えなくなって破産した人が首吊り自殺をしたとしても、それは銀行の責任ではありません。銀行は借金を棒引きにして遺族の生活を支える義務はありません。 そのような場合、銀行は担保物件を競売にして債権を回収するのが普通です。それは非難されるべき事ではありません。残された家族の生活を支えるのは福祉の役目です。 最貧国に対する支援が必要であることを訴えるのであれば、素直にそう訴えればいいのです。債権国を非難するのは筋違いです。 そして、その支援に必要な負担は、先進国全体で担うべきで、特定の債権国だけが借金を棒引きにして負担する問題ではありません。 七月二十一日の産経新聞によると、先進七カ国の中でODA(政府開発援助)債権が最も多いのはわが国で、その残高は先進七カ国全体の約四十四%を占め、以下フランスの二十五%、ドイツの十五%と続き、債務救済に最も熱心な、イギリス、カナダはゼロで、アメリカが十一%だそうです。アングロ・サクソン諸国の援助の少なさが目立ちます。 債権国を非難する前に、これらの援助実績の少ない国を非難すべきではないでしょうか。 それとも、返済能力に不安のある国には、融資をせず、彼らの困窮を座視していた方が良かったというのでしょうか。 援助をしてこなかった国が、ジュビリー2000などのNGO(これらのNGOの主唱者にはアングロ・サクソン諸国の国民が多いのではないでしょうか)と歩調を合わせ、特定の債権国にすべての負担を押し付けて、結果として自らは何の負担もせずに、最貧国の救済を図ろうというのは大変虫のいい話だと思います。 そして、その彼らの虫のいい話に、狙われている国、日本の国民が、広告費用を負担して日本を非難する広告を出すのはばかげた話だと思います。 平成十二年七月二十三日 平成十七年 七月三日 The Doors "When the Music's Over" を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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