テーマ:皇室 三(37)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
旧暦四月四日、大和龍田の風神祭。卯月、牡丹花咲く。 本日は「日本の息吹」平成十八年二月号、中西輝政京都大学教授の「万系一世は神の末裔」から二回目。 日本の皇室は建国神話から続いているという点で、ヨーロッパの王室とは決定的に異なる。 ヨーロッパの王室は歴史が浅いと言う事を「万系一世は神の末裔 一」で紹介したが、最も歴史の長いイギリスも目まぐるしく王朝が変わっており、現在の皇太子が即位するとまた王朝が交代する。 万系一世は神の末裔 インタビュー 京都大学教授 中西輝政 男系による万世一系の系譜こそ、神の末裔なる皇統の意識を高めてきた。一方、女系とは即ち王朝の交代に他ならない。 (続き) ◎女系とは王朝が変わること ─ しかし、神話に連なるお血筋ということでは、女系でも同じということにはなりませんか。 中西 女系とは何か。その意味について、イギリス王室を例として考えてみましょう。 近代以前のヨーロッパの歴史における女性の地位は、日本とは比べものにならないほど低くいわば人間扱いされていませんでした。しかしそんな時代にも女王はたくさん出ていました。それは男女同権という理由では毛頭なく、キリスト教の考えから来ています。王位に就くときに神から特別の祝福を受ければ、もはや女性・男性を超えた存在になるというわけです。 さて、イギリス王室もある時期までは男系でした。即ちエリザベス一世やアン女王などすべて男系で、女王自身は、生涯独身で子供がなかった。つまり、王位にある間に結婚して、その子供が後を継いだことはありませんでした。ところが、その原則がある女王のとき破られました。一八三七年に即位したビクトリア女王です。ビクトリア女王は在位中に夫君を迎えられました。 歴史上なかったことで、プリンス・コンソート(皇配殿下)という新しい称号を作って、ドイツのサックス・コブルグ・ゴータ家という貴族の家からアルバート公という方をお婿さんに迎えたわけです。ビクトリア女王御自身は男系の女王でしたが、やがて二人の間に生まれた長男が、一九〇一年女王亡き後、即位してエドワード七世となりました。日英同盟が締結されたときの王様ですが、ここにイギリス史上初めて「女系の王様」が誕生したのです。 すると、ここで王朝が交代したと枢密院と議会が追認します。つまり、それまでのハノーバー王朝からサックス・コブルグ王朝となったとみなすわけです。 これが国民の不満でした。ハノーバーもサックス・コブルグもドイツ系ですが、前者がイギリス王家との関係が古いのに対して、後者は名前からしてドイツ系そのもので、国民にとっては、「どこの馬の骨?」という感じだったからです。 このイギリス国民の反感が反独感情となって、第一次世界大戦の伏線のひとつともなっていくのです。戦争の原因になるほど女系、つまり王朝の交代とは重大事なのです。 大戦が始まりますと、いよいよ敵国ドイツの名前はいかにも都合が悪いということで、その居城の名を取って、ウィンザー王朝と称しました。それが今のエリザベス二世まで続く現イギリス王朝です。ところが、やがてチャールズ皇太子が王位を継いだとき、また王朝が変わることになります。というのもエリザベス女王の夫君エジンバラ公フィリップ殿下は、ドイツのバッテンベルグ家という家柄の出で、英語式に直すと「マウントバッテン」です。ですからチャールズ三世が誕生したときにイギリス王室はウィンザー王朝がマウントバッテン王朝に交代するのです。 ちなみにこのフィリップ殿下の叔父さんは日本と戦争をしたときのビルマなど東南アジア連合軍の司令官で最後のインド総督も務めたマウントバッテン元帥です。 さて、このイギリスの例を参考に日本の皇室について考えてみます。もし仮に愛子様が皇位を継がれることになっても、これは過去八方十代の女帝の例と同じ「男系の女帝」ですから、何も真新しいことではありません。ただ、もし御在位中にご夫君をお迎えになって、親王を御出産になられ、その方が愛子様の次に皇位に就かれるということになりますと、これは史上初めて「女系の男帝」となります。 もし愛子様のご夫君が皇族以外の一般国民であったとします。例えば卑近な例で恐縮ですが、分かりやすくするためにその方が仮に「山田太郎」という名前であられたら、お二人のお子様が皇位を継がれた時点で、「山田王朝」が誕生したとみなされるわけです。 つまり、愛子様まで一貫して神武天皇に始まる男系が続いてきましたから、これを仮に「神武王朝」と申し上げれば、神武王朝から山田王朝へと、日本史上初めて王朝の交代が起こるということになるのです。ここで天皇家の姓が変わる、あるいは始めてたとえば「山田」という姓をもたれる、つまり「易姓革命」が起るということです。 これは同時に、世界で唯一残っていた神話に由来し二千年間直接につながってきた王朝がなくなるということを意味します。 さらには「王朝の交代」ということは、イギリスの例でもわかるように大きな政治的意味合いも持ち得るのです。女性の皇后様や皇太子妃をお迎えするのと違って、男性を迎えるというのは、その男性の職業や生まれた実家の関係、属した組織の利害、あるいはヨーロッパの場合はその出身国であったりするわけですが、それらを全部引きずって持ってくるわけです。 日本でも弓削の道鏡の話があります。やはり男性の場合、女性とは違う社会性の強さ、権力意識の強さもあり、政治的野心を持つのは自然なことともいえるわけです。ですからヨーロッパ王室でもビクトリア女王の時も現エリザベス女王の時も、ものすごくきめ細かな、夫君を監視する制度を作るわけです。まず夫君に自分の出身家系と繋がりを一切絶って来させます。それから夫君が出身家系の関係者と頻繁に会うことは認められていません。さらに出身家系の人間は議員に立候補することも公務員になることもできません。そこまで縛らないと、恐ろしいことになりかねないからです。 このように女系に移ることの重大な意味について、有識者会議も考え抜いた形跡はないし、マスコミも多くは知らないでしょう。この不見識はやはり戦後の天皇観、皇室観が歪められ希薄になってしまったことに起因するものではないでしょうか。 何百年、何千年連綿と続いてきた日本人の精神構造、価値観に支えられた皇室に対する意識が、占領政策によって大きく歪められてしまった。それがいまだに回復していないのです。 (続く) 愛子内親王殿下は男系女子なので、民間男子との間に設けら れた御子様は「女系」でも「男系」でもない。 男 ┌─女…雑系女子 ├─┤ ┌─女 └─男…雑系男子 男 ┌─女…雑系女子 │ ├─────┤ (神武天皇) 女 │ 女 ┌─女…男系女子=愛子内親王 └─男…雑系男子 ├─┤ ├─┤ 神倭伊波礼毘古命 ┌─男 └─男 └─男…男系男子 │ │ │ │ │ │ ┌─男…双系男子 ├─────┤ ├─┤ │ │ │ └─女…双系女子 │ │ │ 多多良伊須気余理 └─女 ┌─女 ┌─女…女系女子 ├─┤ ├─┤ 男 │ 男 └─男…女系男子 │ └─男 ┌─女…雑系女子 ├─┤ 女 └─男…雑系男子 従って今次の皇室典範改正問題の論点は「女系天皇を容認す るか否か」ではなく「男系天皇を放棄するか否か」である。 平成十八年 五月一日 パーレット「誤解」を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月28日 12時31分42秒
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