生産思潮の推移と生産の変容(1)
生産思潮の推移と生産の変容 客業生産の特徴の表やEUのEURATEXの生産の進化の表、そしてインダストリー4.0プロジェクトで示されている生産の各時代の表では、4つの時代に区分して示されている。現在は第4の産業革命の時代と見る見方がある。そして人類は、現在の産業革命に至るまで、長い歴史を経てきている。1)ものづくりの発祥人類のものづくりの出現の端緒は石器の使用である。およそ300万年前に始まったと考えられる化石人類の生活形態は,採集,狩猟文化とされている。採集の生活形態は草食の鳥や小獣のように果実,穀類など自然の与えるものによって生きていたのであり,原始の人が採集したものが貝類や小動物を含んでいて,硬い木の実を割ったり,貝殻を割ったりするため,手頃な石が使われた。このような石の使い方はラッコが有名であり,人でなければできないというものではない。最古の原人石器は176万年前の握り斧でアフリカ・ケニアで見つかった。しかし,こうした手ごろの石が石器の原型となって石器時代が始まったが,石器は破壊の働きのための道具であつた。この石器の使用は300万年前から1万年前まで続き,そして採集から狩猟への移行にともなって,破壊の技術に生産の技術が加わることになった。狩猟では投石など石器による破壊の技術と共に,クモがアミを張って小昆虫を補食するように,木の皮などから作った繊維のひもを結んだ「ワナ」や「アミ」などが使われたと想定されている。紐を結んだりする仕事はモノを作り出すことで,これは葛の巻付けなどから結び目を生み出したと考えられる。縄文時代早期 約1万年前~6000年前には、煮炊き用の土器の出現が旧石器時代の生活を変えた。縄文・撚糸文の尖底土器が作られた。夏島貝塚から撚糸文系土器、貝殻沈線文系土器、貝殻条痕文系土器という早期から終末までの土器が層位的に出土したというから、縄や撚糸が造られていたと見られる。そして結び目を起源として織物を生み,ニットを生むに至り,更にこの結び目をルーツとして,縫い目が生み出されたものと筆者は考えている。特に結び目は住み家を作ったり,船を作ったりに欠かせない技術となったから,生産の為の技術といつてもよいものである。このように結び目が繊維技術の源となり,建築技術の源となり,生産の技術の源となった。そしてシステムの源では,ライオンや虎などが狩をするときの協力作業に教えられたという。ハチやアリのような団体行動についても,よく統括された行動となっている。すでに古代ギリシャの哲学者デモクリトスは,約2,350年も前,次のように説明した。………はじめヒトは獣のように裸で,着物も着ず,家も火もなく,絶えず食べ物を捜し求めていた。野獣の攻撃から身を守るために,ヒトビトは団体行動を取るようになった。きびしい経験に教えられて,洞窟を隠れ処とし,冬のために食べ物を蓄えた。火をおこすことを覚え,手仕事も覚えた。クモは機織を教え,ツバメは家を建てることを教え,ウグイスは歌うことを教えた。……… (人間の歴史,イリン・村川隆訳,角川文庫)それでは,今日の言葉でこの時代の技術を表現してみよう。文字どおり,ハードは石器で,ソフトは繊維の紐ということになる。システムは協同作業の上に成り立つのである。(1)生産型技術としての繊維技術ここで石器が破壊技術を成立させ,繊維が結び目を生み出して,生産技術を構築したと見られる。破壊技術の方は狩猟に用いられるにとどまらず,狩猟において共同体以外の人々が現れて,分け前を要求したりすれば,争いや戦闘が起こることになる。農耕文化の時代となると,土地の奪い合いとなり,きわめて深刻な争いを引き起こすこととなった。このような場合に,破壊技術がものをいうこととなり,これによって生命,財産がまもられる役割とみられて,このような技術の上に文明社会が築かれてきた。一方,生産技術では家を建築し,船を建造したり,衣服を仕立てたりして,人間生活の生産的働きに使われてきた。これが繊維技術を含めて,まぎれもなく,人間の文化を築き上げてきたのである。このように技術には,「文明型技術」と「文化型技術」とでもいう二面性のあることを知らされる。 次に技術の話源について調べてみると,結び目がテクノロジーの母胎であるとみられる。ギリシャでの「技術」に相当する語として,テクネ(tekne)というのがあり,これは今日の「テクノロジー」の源といわれている。テクネの意味は「家を造る」ということであるが,そのために「つなげる」という原義を持つと考えられている。テクネに相当するラテン語はアルス(ars)で,英語の技(art)の語源であるが,(ar―)には「組合わす」という元の意味があるといわれる。これは紐の結び目の技術によるものだと思われ,従って繊維製品であるテキスタイルもテクネの派生語で,繊維の技はまさに当時のテクノロジーであったと考えられる。そして繊維産業、アパレル産業の技術はこの系統に連なって発展してきたのである。このテクネに対して,プラトンは日常的経験の積み重ねや,訓練の積み重ねの結果得られた熟練や技能ではなく,また物事を巧みに処理する能力でもなく,自然の中に本来的に存在する因果的な関係を知的に把握した結果,そこから生まれ,あるいはそれに裏付けられたものが技術であり,能力であると考えたのである。つまり,単なる繰り返しの熟練や技能は,プラトンによってトリベ(tribe)と名付けられて区別された。次に技術を漢字について調べると,漢字の「技」という字は「手」と「支」の複合された形とされる。これは「手で支える」または「手を支える」の意味であり,「手で支える」は英語の(art)で,「手を支える」は手の働きを助けることで,これは道具であり,英語で(tool)となるのであるが,漢字の語源からすると,技術と道具(さらには機械設備)とは切り離せない関係となるわけで,その昔石と紐が道具であつて,特に紐によって,技術が生み出されたと考えられている。 衣服をヒト族が身に着け始めたのは,いまから5万年以上も前,後期旧石器時代の原人ネアンデルタール人が,第4氷河期の寒さに打ち克つためとされている。このときから衣料を縫うという作業も行われるようになった。糸と針とによる縫製は以来5万年以上の長きにわたって続いている。(つづく)