眠れない夜のために
部屋の気温が25度を越えた6月下旬のある夜、あまりの暑さに目が覚めた。金縛りにでもあったかのように僕の呼吸は乱れ、シーツが汗でベットリと濡れていた。僕は起き上がり、そっと部屋の窓を開けた。風はない。やけにムシムシした不快な夜だった。午前2時。時計のカチカチという音だけが耳に障る。確かに僕は疲れている。意識朦朧(もうろう)とした頭で、今見ていた夢のことを思い出そうとしたがそれもできなかった。キッチンに向かい、冷蔵庫からよく冷えたバドワイザーを取り出して喉を潤す。2口飲んだだけで胃袋がキュンとしまるようだった。冷蔵庫のサーモスタットが「ウィーン」と鳴って僕はようやく冷静さを取り戻した。間違いなくこの頭と体は僕のものだ。そう感じるということは、僕の思考回路が正常に働き始めた証拠だ。眠れない夜に僕が思うのは、小学校の時の校歌だったり、昔の恋人が言った言葉であったり、旅先で出会った人々の顔であったりする。そういったことに思いをはせているうちに、様々な感情が入り乱れて、ますます僕の頭は混乱し始め、求めていた眠りは僕からいっそう遠ざかっていくのだ。古い日記を読み返すように、僕の意識はいろんな時代を駆けめぐり、今自分のいるべき時間に戻るまでは全く自由な幻想の世界に旅立つことになる。マインドトリップ。意識は現実の世界に戻ることを拒否しているのかも知れない。僕はまぶたを閉じたまま、夢とも現実とも分からない世界をしばしさまよい続ける。今僕はどちらの世界にいるのだろう。ビールの酔いが少しずつ回り始め、僕の存在はいよいよあやふやなものになっていく。いつの間にか外はシトシト雨が降り出していた。僕は空になったビールの缶を片手でひねりつぶし、キース・ジャレットのCDをプレイヤーにセットした。眠れない夜は果てしなく長い。夜光塗料を塗った時計の針は永遠に同じ所を指しているかのようにも思えるし、天井の木目の一本一本がいつになくくっきりと目に映る。暗闇の中で、僕の目はよけいにさえてくるのだった。キース・ジャレットのピアノはヘッドフォンの中で静かに響き、僕の耳はあらゆる音に敏感になっていた。まるで病人のようにベッドに横たわり、最後には、もうどこにも行けないという諦めにも似た気持ちが僕の頭を支配する。何度も寝返りを打ちながら、先ほど僕が見ていたのは、サヴァンナを疾走するキリンの夢だったのではないかとも思ったりした。間もなく夜が明ける。うっすらと白み始めた空をうつろな目で見ながら、僕の長い夜はようやく終わりを告げた。Lying in my bed I hear the clock tick, and think of youCaught up in circles confusion… is nothing newFlashback…warm nights…almost left behindSuitcase of memories, time after… Cyndi Lauper “Time After Time”