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テーマ:政治について(19936)
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人間の自由、平等、国民主権、思想の自由、法の前の平等などを掲げた「人権宣言」が「国民議会」で採択されました。
時は1789年8月26日。場所はフランス。 世に言う「フランス革命」 「絶対王制の専制政治を敷いてきたルイ王朝」は、これにより、事実上、崩壊しました。 1867年10月、徳川幕府将軍徳川慶喜は「大政奉還」を宣言し、大政を天皇に奉還して「明治維新」への第一歩となりました。 1917年、3月12日、ロシアでは「労働者や兵士によるソビェト」が組織され、「運動」の中で、ニコライ2世は、退位させられ、帝位を後続するものもないまま、ロマノフ王朝が崩壊しました。 これら「革命」「維新」と呼ばれているものには「共通項」があります。 「自由、平等」を掲げ、いわゆる「封建制」を打破して、強力な政治基盤を持っている「王朝」を崩壊させ、実質、政治的能力のない「組織」に政権を交代させることです。 政治的能力がない「弱体政権」ですから、「資本の論理」に支えられた「傀儡政権」になるしかありません。 つまり、「革命」「維新」そのものが「資本の論理」を掲げる「商人」によって画策されています。 ☆ 本来、「自由」「平等」などあり得ません。 「商人」は言います。 「我々の攻撃から、彼らの国家と人民を守る唯一の砦である貴族政治を、この’自由・平等‘という言葉がぶち壊した」 「我々が人民の心から神への信仰を奪ったとき、王冠の権威は地に堕ち溝に捨てられ、そこで、我々は誰はばかることなく、拾得物として、それを手に入れたのである」 ☆ 「日本はイギリス、アメリカ、ドイツの植民地。東経127度と144度、北緯31度と47度との間に位置す。旧イギリス帝国株式会社の支店…」 「モンブランの日本見聞記」新人物往来社刊のボヌタン著「明治ジャポン 1886 日本 文化の危機」から引用。 ボヌタンはフランスの紀行文学者であり、1886年(明治19年)の日本を、 「旧イギリス帝国株式会社の支店」と喝破しています。 このとき、既に日本は「旧イギリス帝国株式会社」という「商人」に従属している「日本支店」。 そして「フランス支店」、「ロシア支店」、更には「アメリカ支店」と続きます。 「旧イギリス帝国株式会社」の本部は、今、現在、ロンドンのシティにあります。 「明治維新」は、「維新」ではなく、日本国の「敗戦」でした。 その後、1945年9月2日、降伏文書を連合国と調印して、武力による「敗戦」を迎えました。 いまだ、日本は「支店」であり続け、占領され続けています。 この状態を切り開く「政治家」の台頭が待たれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.26 12:39:20
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