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テーマ:政治について(19806)
カテゴリ:健康・生活
私は、北海道に生まれ育ちました。
今年は、北海道・洞爺湖でサミットが開催されたこともあり、本州からの「観光客」も例年に比べて増えたようです。 そのかたがたから「北海道の自然は雄大で素晴らしいですね」と言われますと、私も嬉しくなります。 しかし、考えてみますと「北海道の自然」と言った場合、「自然」を客体化して人間(自分)とは全く別のものと見做しています。 そうではないと思います。 宇宙・大自然という生命体にとって、人間は地球上に棲息する約160万種ある生物の一種であります。 私たち人間は、これらの生命と共生・共存して、大自然を構成している一員に過ぎません。 本来、大自然は分けることはできませんが、強いて分けますと次のようになります。 内なる自然:人間(自分) 外なる自然:人間以外の自然 ですから、私は自然であり、貴方も自然です。 このことが実感として、分からなくなっているのは、私たちが「大自然」から掛け離れた「反自然的生活」をしているからです。 例えば、私たちは鉄筋コンクリート製の家に住み、同様の学校に通い、同様の職場で働いています。 本来、北海道であれば「北海道産の木材」などで作られた家に住むのが自然的生活ではあります。 更に、私たちは、大地を勝手に舗装し、自動車で移動し、 「食べ物」ではなく、「資本の論理」で化学的に加工処理された「食品」を与えられています。 このように「反自然的生活」をしていますから、本来の自然の姿を残している海・山・川・森林などを見て、「故郷」を思い出し、「雄大だ」「素晴らしい」とその荘厳さ、美しさに感動してしまいます。 実際のところ、私たちの「腸内」こそ、「故郷」であり、まさに「宇宙の神秘」が宿っております。 ここの主役であります、腸内細菌やバクテリア、そして酵素こそ、「感動すべき、感謝すべき自然」ではあります。 さて、地球上の生物のあらゆるエネルギーの源は、太陽の放射熱(太陽エネルギー)です。 残念ながら動物は、この太陽エネルギーを直接、摂り入れることはできません。 直接、利用できるのは葉緑素を持っている植物だけです。 この植物は、太陽エネルギーに、炭酸ガス・水を使い、光合成を行い、炭水化物(化学エネルギー)に変換し、更には、このエネルギーで、更に複雑な蛋白質や脂質などを合成いてくれています。 植物は「生産者」です。 一方、草食動物は植物を食べることによって、肉食動物は草食動物を食べることから、間接的に「太陽エネルギー」を摂り込み「太陽の恵み」を受けています。 人間も同じです。 単なる「消費者」に過ぎません。 これが大自然における厳粛なる大原則です。 さて、ここで忘れてはならないのが、地球上の生物の90%以上を占めている微生物・バクテリアという「分解者」です。 すなわち、「生産者」植物や「消費者」動物の排出物や屍体を分解して、炭水化物・水・無機栄養塩を作ってくださっております。 この「分解者」が存在することで、 「大自然界における生産と消費との循環」が成立していきます。 次に1998年12月19日朝日新聞に掲載された「バクテリアへの転生を願う私」というタイトルの投稿記事を紹介いたします。 大宇宙の生命の輪廻の中で、人間は何に転生をするのが適当であろうか。 私は、山中深くブナの木の下20センチにも積もった落葉を、腐葉土へと分解する作業にいそしんでいる、バクテリアへの転生をこそ願っている。 人間はあらゆる生命を食い続け、その上、さらに文明生活の名のもとに、大自然にあだなす行為は驚くべき多数に上る。 人間の生存はもっと謙虚にならなければ、近い将来、大自然の因果律の中から、必ず強い説諭を受けることになるのは間違いないであろう。 この点からも人間の転生は、地球の表土創製作業こそ、もっともふさわしい。 日本の国土は、7割の山岳森林によって保全されている。 中でも、とりわけブナ林のたたずまいは、表土創製になくてはならない先駆者である。 50歳のブナの木は、その樹下に一反歩の田んぼが必要とする水をかん養している。 ダムである。 ブナの葉は薄く、どんなそよ風にもよくそよぎ、日の光をその樹下に届け、林床を明るく豊かにはぐくむ。 その幹の文様の美しさをたとえて、古武士の立ち尽くす姿に似て…、と表現した人がいる。 百年かかって1センチの表土ができ上がるというバクテリアの営みは、本物だけが持つ、壮大な時の流れと重みが感じられて、私の性に合っている。 山は落葉と枯れ枝が積もって、バクテリアは大忙しのころであろう。 「願えば、かなう」を信じて、転生を待つことにしよう。 人間をもう一度は、ご免だ。 引用終了 この素晴らしい「文章」との出逢いが、今日の私を創り上げているのかも知れません。 感謝。 人間が「ヒューマニズム(人間至上主義)」とか「人間は万物の霊長」などと言っているのは、 「人間は自然の一員に過ぎず、その生態循環システムを健全に維持する範囲内での生存が許されている」ことを忘れた「思い上がり」以外の何者でもありません。 西洋文明が、「内なる自然」を無視し、これから「外なる自然」から切り離し、その「外なる自然」を征服・保護・支配したという「幻想」に酔い痴れています。 日本人も、明治以降、この「幻想」に取り付かれてしまいました。 しかし、自然の一員である自分自身、「人間の生命の本質」さえ知らない「西洋人間」には、自然「を」管理することはできません。 今からでも決して遅くはありません。 自然「に」従順な、人間本来の生理(内なる自然)に適合した生活を取り戻すべきではあります。 私は、「内なる自然」「腸内細菌様たち」にもう一度、お逢いしたいので、 無礼を承知で「人間をもう一度」と、再生を願っています。 食は命なり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.22 10:53:54
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