テーマ:今も心に残っている歌(674)
カテゴリ:音楽
97年前とは、いったいどんな時代だったのだろうか。 97年前、つまり1909年。浅間山が二度の噴火、 我が国の初代首相伊藤博文が韓国の暴漢・安重根に射殺され 山手線が電車運転を開始した年だ。 関東大震災も大東亜戦争も これから起ころうとしているときだった。 日本を、激動の時代が待ち構えていた。 その年に生まれた主な著名人は 太宰治、松本清張、小森和子(おばちゃま)など。 いずれも故人である。 私の職場に来る最高齢のおばあさんは 今年97歳を迎える。ヘルパーさんに連れられ 多いときは週に3回ほど通院する。 昨年、自宅で転倒してしまい すっかり弱ってしまったが それまでは誰の手も借りずに ひとりで歩いて来ていた。人呼んで スーパーおばあちゃん。 少々耳が遠いのだが その話し声は大きく、治療中に昔の話をすると 院内の誰もが聞き入ってしまう。 ご主人を戦争で失ったので 戦争未亡人ということになる。 毎年、終戦記念日に日本武道館で行われる 全国戦没者追悼式にも遺族の代表として 参加するという。 それだけでも相当な苦労だったと思うが その手で3人のお子さんを育て上げた。 まだ戦後の復興の時代、多摩川の河原で さつまいもを栽培していたそうだ。 子供に食べさせようと畑を作り、毎日水を与えた。 そろそろ大きくなったので、さぁ収穫だと 意気込んで河原へ向かったある日のこと。 あるはずのさつまいもは、何者かの手によって 全て刈り取られていた。 せっかく毎日頑張ったのに、あんなに汗をかいたのに 子供が楽しみにしていたのに・・・・。 おばあちゃんは葉と茎だけになった畑に 立ち尽くし、ぼろぼろと泣いたそうだ。 情けない。こんなに辛いことはない。 しかし、何十年も経過した今では こう語る。 「あんなに辛いことがあったから その後も頑張ってこれたんだよ。 あの日の辛さに比べたら、たいしたことないもの。 それにね、あのとき持って行った人だって きっとお腹を空かせていたんでしょうに。そんな人が 食べてくれたのなら私は良いことをしたんだと思うよ。 許してあげたい」 嗚呼、生きるって素晴らしい。 単純に計算して、私の3倍生きている。 嬉しいことも、悲しいことも3倍。 苦労は3倍じゃ足りないくらいだろう。 ちっぽけなことで悩んでいられないな。 おばあちゃんは、野に咲く花のようだ。 風に吹かれ、雨に打たれたからこそ 晴れた日の喜びを、誰よりも知っている。 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/nonisakuhananoyouni.html ちょっと歌ってみましょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[音楽] カテゴリの最新記事
|
|