オーストラリアと日本の深い関係!
会計士として在豪していた岡崎一浩氏が書いた「オーストラリア年表」を元に、日豪関係の深いつながりについてお話したいと思います。この「オーストラリア年表」、岡崎氏の努力にただただ脱帽するだけの内容です。日豪関係ニュースをこと細かに書き溜めたもの。1700年ごろからの歴史を紐解いてくれます。「オーストラリア年表」で歴史をたどる前に、先に現在の状況を説明しておくと、次のデータの通り、豪州にとって日本は輸出・輸入とも一番のお客様。逆に日本にとっても豪州は重要なお客様です。 ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ■総貿易額(2003年度) 2,380億豪ドル(1)日本(15.1%)(2)米国(12.6%)(3)中国(9.8%)輸出 1,079億豪ドル、輸入 1,301億豪ドル ■主要貿易品目(2003年度) 輸出 (1)石炭(10.1%)(2)非貨幣用金(5.4%)(3)鉄鉱石(4.7%)輸入 (1)乗用車(8.2%)(2)原油(5.3%)(3)コンピューター(3.7%) ■主要貿易相手国(2003年度) 輸出 (1)日本(18.3%)(2)米国(8.7%)(3)中国(8.4%)輸入 (1)米国(15.8%)(2)日本(12.5%)(3)中国(11.0%) ビジネスの関係だけではなく文化面での交流も盛んです。特にワーキングホリデー制度が導入されたことが大きく寄与していると思われます。余談ですが、私もこのワーキングホリデー制度を利用して来豪したことがオーストラリアでの起業につながりました。■文化関係 (1)1974年文化協定が署名され、我が方は国際交流基金を中心として、豪側は豪日交流基金を中心として、研究者・教員、学生、芸術家、スポーツ・マン等の交流をはじめ各種の展示・公演事業が進められている。(2)1980年12月1日より日豪ワーキング・ホリデー制度が発足。(3)日本と6州99都市が姉妹州(都市)関係(04年7月現在)にあり。(4)尚、日豪友好協力基金条約署名30周年等にあたる2006年を日豪交流年として、両国の間で相互理解を深め交流を拡大する為の様々な催しが行われる予定。 ■在留邦人数 45,128名(03年10月1日現在) ■在日豪州人数(外国人登録者) 11,582名(03年12月末現在) Source: 外務省資料 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/australia/data.htmlこのように日豪間の関係は、想像以上に強いつながりがあります。さて、歴史を紐解いてみますと…1874年(明治 7年)11月 野波小次郎が木曜島に渡航。初の日本人の真珠貝採取の移民。 ⇒ 司馬遼太郎の短編「木曜島の夜会」にこの話が詳しく書かれています。1874年(明治 7年)11月 シドニーから日本へ羊毛の初輸出。1878年(明治11年)10月 日本、オーストラリアから羊1,530頭を輸入。1879年(明治12年)11月29日 シドニー万国博覧会。日本も参考出品。秋山貞治、築地木挽町にあった「起立工商会社」の出品に伴ってオーストラリアに渡航。博覧会の終了後、秋山貞治はメルボルンに徳田利彦と秋田商会を設立。日本商品の輸入販売に従事。1888年(明治21年) この時点で中国人人口が既に50,000人に。1890年(明治23年) 兼松房治郎、シドニー支店の開設。99番地クラーレンス街。1881年(明治24年)12月 木曜島での真珠採取の日本人、1,000人近くに。1882年(明治25年)11月 吉佐移民会社、オーストアリアへの移民取扱いを開始。50人をQLD州インガム地方のウッド兄弟会社のサトウキビ畑に送る。1896年(明治29年)10月3日 日本郵船の山城丸、横浜出航。日豪定期航路の開設。バーンズ・フィリップ社が代理店。1897年(明治30年)12月31日 日本人移民、オーストラリア全体で2,000人を大きく超す。内訳は、木曜島の採貝業関係で900人、メルボルンやシドニーでの商業・洗濯業に約200人、砂糖キビ関係で約900名。1915年(大正 4年) 8月 横浜正金銀行(東京銀行の前身)、シドニー出張所を開設。1920年(大正 9年)10月 三菱商事、シドニーに駐在員をおいて羊毛取引を開始。1920年(大正 9年)11月16日 QANTAS航空、マクギネス元大尉とフィッシュ元大尉により2機の複葉機で設立。QLDやNTの地方での需要を見込む。1939年(昭和14年) 9月3日 豪、独への宣戦布告。第2次世界大戦に参戦。1941年(昭和16年)12月7日 日本、真珠湾攻撃。1941年(昭和16年)12月9日 オーストラリア、対日宣戦布告。1942年(昭和17年) 2月19日 日本軍の188機、ダーウィンに爆撃。243名死亡。1942年(昭和17年) 5月31日 3隻の日本軍の特殊潜航艇「回天」、シドニー湾に。1943年(昭和18年) 2月19日 日本軍の飛行機、シドニーに飛来。1944年(昭和19年) 8月 5日 カウラ日本人捕虜収容所で暴動。日本人234人とオーストラリア人3名、死亡。1945年(昭和20年) 8月15日 日本、降伏。1947年(昭和22年) 6月 戦後初のオーストラリア羊毛の積み上げが四日市港で。1947年(昭和22年) 8月 対日民間貿易が再開。1947年(昭和22年)12月18日 カンタス航空、初の日豪便。乗客6人と545キロの郵便を積んでダーウィン発、マニラ経由で山口県岩国に。ざっと抜粋しましたが、ご参考になりましたでしょうか?この岡崎一浩著「オーストラリア年表」は、かなり詳細にわたり記載しているので読んでいるだけでも楽しめます。いずれにしても、豪日関係は、かなり深いものがありますので、ご興味のある方は、一度勉強してみてください。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* このブログを読んで“参考になった”、“他の人にも知ってもらいたい”と思った方は人気blogランキング をクリックお願いします!*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*