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カテゴリ:おでかけ
先月12日に行ってきた湯西川温泉街のはずれにある[復元 平家の里]… 写真を整理するのが面倒だったので今頃になってしまいました。 [復元]とあるように、平家の里がこの場所にあったわけではなく、建物も移築されたわけでもなく、あくまでも復元・再現されたようです。観光客招致の一環なのでしょう。 [受付]……入館料510円でした。[太敷館]と呼ぶそうです。 [太敷館]を初め、[調度営みどころ] [床しどころ] [種々伝えどころ] や [お休みどころ] を含めて9棟の建物が点在していました。 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」……栄華を極めた平清盛の死後、壇ノ浦の戦いに敗れ、全国各地に落ちのびたんですね。 藤原朝綱公を頼って宇都宮へ落ちのびた平家の家臣・平貞能……平家追討が厳しくなる中、高原山に身を隠したのだが、ある日一族の婦人が男の子を出産した。祥事と喜んで端午の節句に鯉のぼりを立てたところ、源氏方に見つかり痛手を負ったそうな。その後、湯西川に分け入った一族は鯉のぼりはあげないそうで、鬨(とき)を告げる鶏を飼わないという風習も残っているようです。 [湯西川赤間神宮]……源平壇ノ浦合戦に、八歳の幼帝で平家一門とともに壇ノ浦に身を崩じた安徳天皇の菩提寺が下関赤間神宮だという。ここ湯西川の赤間神宮は、昭和六二年二月二十二日の平家の里完成に併せて分祠してもらったそうです。ちなみに日本で唯一の分祠とのこと… 湯西川は昔から[木杓子]つくりが盛んだったそうです。ブナ材が原料とのこと……素朴さのなかに漂う木の香りは良いでしょう。 神棚がありました… [唐臼(からうす)]……足踏み式で、粟(あわ)、稗(ひえ)、きび等の雑穀を搗(つ)いた道具で、昭和20年代まで使われていたそうです。 [五の館]……鎧、鞍や弓などの武具が並んでいました。 [六の館]……平敦盛像……一の谷に出陣する雄姿だそうです。 [餉(かれい)の館]……甘味・お土産処らしいです。 一応1銘柄だけお酒があったのでYさんのオーダーです。……私はあまり飲みたくなかったのですが、お付き合いで生ビールを一杯だけ。[蕎麦がき] ですが不思議です。いわゆる蕎麦はメニューにありませんでした。私は食さなかったので味のコメントはできません。 お土産コーナーに置かれた空きビン…… なぜか鹿が一頭いました… [平家塚]…… 合掌… 湯西川を訪れてから早くも約1か月が経ちました。あっという間に時間が過ぎて行きます。日々グダグダしていてはダメですね~ と反省しきりの昨今今日この頃であります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.09 13:15:25
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