|
カテゴリ:言語、歴史、心理
"Nadia"という本を読みました。1977年発刊で、1974年に心理学者(psychologist)である著者(author)が出会ったNadiaという自閉症(autism)の少女についての本です。この少女は生まれて間もない段階から言語・コミュニケーションの発達に遅れが見られ、3才になっても使用できる言語は10個前後、2語だけの短い文章がいくつか理解できる程度で、他者との関わりは非常に限定されたものでした。しかし、3才半になった頃から絵を描くようになり、その絵が普通の子供の絵ではないとして大きな注目を集めることになります。
5才半
6才
6才8ヶ月 (画像はすべて"Nadia" / Lorna Selfe より)
絵を描く際は白い紙に細めのボールペン(fine ballpoint pen)を使用し、色には一切興味を示しませんでした。また絵具を塗る(paint)ことも全くしませんでした。描き始めた当初からすでに遠近法(perspective)をマスターしていて練習過程がほとんど見られないのは驚くべきことです。たださらに言うと、年齢とともにスキルが上達するといったことも見られず、最初からほぼ完成した状態で描き始め、その後ほとんど変化しなかったということになります。 絵の題材(subject)は絵本のイラスト、雑誌の写真などで、実物を見て描くことは滅多にありませんでした。描く際に題材を参照することはせず、基になったと思われる写真等を見たあと数日以上たって突然何もなしで描きだすという具合で、映像をそのまま記憶できていた(映像記憶 Eidetic Memory)と推測されます。日常の動作が非常に緩慢(lethargic)で不器用(clumsy)であったのに対して、絵を描いているときは不器用さを全く感じさせなかったそうです。 興味深い点として、彼女は左向きでも右向きでもどちらでも問題なく描くことができました(通常どちらかに偏る)。さらに、例えば馬の絵の場合、首(細部)から描き始めて次第に全体を構成するという順番で、これは通常の子供・大人が絵をまず全体像から描く傾向があるのとは正反対です。また絵が途中で紙の端で切れてしまい例えば人の顔が半分だけにしまっても全く気にしませんでした(普通バランスを歪めてでも全体を入れようとする)。このように彼女の絵の描き方にはいくつか際立った違いが認められます。
比較として載せられている通常の5-6才児の絵の例。(出典は上に同じ)
かわいらしい子供の絵ですが、上の極めて具象的な絵(representational drawing)を見たあとでは、かえってこちらの方が極端にデフォルメされていて発達上問題があるように見えてしまう位です。出版当時から僕のブログに至るまで、比較のためにこのように掲載されまくって(しかも良い例としてでなく)、これを描いた本人は非常にいやだと思いますが・・・、それはさておきNadiaの絵が全く異質であることがわかります。 一般に、子供は見えている姿ではなく自分が知っているものを描いている ("They draw what they know rather than what they see.")、と言われます。Nadiaの場合、まさに見たままが描かれているのです。ただし単なるコピーではなく、彼女なりのアレンジが必ず反映しています。
Nadiaの例はサヴァン症候群(savant syndrome)の一つと考えられています。本の出版は大きな反響を呼び起こし、自閉症およびサヴァン症候群について世間の注目を集めることになりました。現在ではだいぶ一般に知られるようになっていますが(かえって誤解が生じている位)、当時はまだ自閉症の診断基準(criteria)もあいまいな時代でした。 Nadiaに出会った当時、著者はまだ大学院生(postgraduate)で彼女にとってNadiaとの出会いは大きな衝撃だったようです。その後もNadiaとコンタクトをとり、その都度、病状の再評価を行っています(conduct a reassessment)。つい最近の2011年に、その後のNadiaとサヴァン症候群についての論考をまとめた"Nadia Revisited"が発刊されました。
当時著者がNadiaと関わったのは5ヶ月ほどで、その後Nadiaは学校を変わり、思春期(early adolescence)から20代にかけて、語彙数も200-300に増加し、言語能力(language ability)に大きな前進が見られました。20代の頃はポップ音楽にも興味を示し、おそらくこの時期がNadiaが最も外向的であった時期だったのかもしれません。 絵を描くことも変わらず奨励されていたのですが、彼女の絵は年とともに大きく変化していきます。新しい環境で彼女はまわりの子供たちが描いている子供らしい絵を真似するようになり、それまでの写実的な絵と子供っぽい絵が混在するようになります。さらに時間が経つと次第に本来の写実的な表現が見られなくなり、思春期以降は子供のような絵しか描けなく(または描かなく)なってしまいます。
現在Nadiaは40代になっています。20代以降、彼女は周囲への関心を次第に失っている(regressing)ように見受けられ、絵も描くこと自体拒否することがほとんどになっています。最も外向的で生活能力の向上が見られた10-20代でさえ、他者のサポートなしに生活することは困難であり、今後Nadiaの症状が劇的に変化する可能性はほとんどないと言えます。健康的には問題ないようですが、2010年、最も最近に著者がNadiaを訪問したときの様子として、ほとんど目を合わせることもなく(avoiding eye-contact)、会話も実質成立しませんでした。残念ながら著者自身の診断として、最も重度の障害(severe retardation)に分類せざるを得ないとしています。 著者は"Nadia Revisited"の冒頭でこのように書いています。
なぜNadiaの能力が消失したのかは、なぜ彼女が幼くしていきなり完成度の高い絵を描くことができたのかと同様謎のままです。一つの推測として、Nadiaが言語能力を向上させたこととひきかえに絵画的能力が失われたということです。しかし、それでは言語能力を有しない自閉症の子供はみな視覚能力に優れているかというと実際そのような子供はごくわずかですし、言語能力の向上にも関わらず絵画的能力を保持する例もあります。"Nadia Revisited"で著者が引用している文章を載せます。Nadiaが提示した謎(enigma)は今もまだ解かれてはいないのです。
(長いので訳は割愛・・) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|