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1933年、日本の中国侵略を咎める決議(賛成42カ国に対して反対は日本の只1国でした)に対して、日本は国際連盟を脱退して“栄光ある孤立”の道を選びました。既に文民政治は5.15事件での犬養首相暗殺によって影をひそめ、1932年満州国を創立し、傀儡の溥儀皇帝を宗主に祭り上げていたのです。往時を知る人は「私は当時小学生だったけれども、外務大臣の松岡洋右さんが席を蹴って国際連盟をを脱退するのに、国民は皆、拍手喝采と言う感じでした。」と言っています。
日本は世界を敵に回して、以後、戦争へと突き進んでいったのです。政治家の大政翼賛会参加による抑圧、学生動員を含む国民の総徴兵制、工場労働への国民の徴用、朝鮮人を日本国臣民としての強制徴用と軍事体制を確立して行きました。 欧米を中心としたABCD(アメリカ、英国、中国、オランダの略)ラインに石油禁輸による経済封鎖に対抗して、インドネシアの石油資源を求めて南方に侵略を開始し、ついには太平洋戦争に突入し、日本国を破壊させてしまいました。 あの時のことを、日本は忘れても世界は忘れていません。中国、朝鮮での戦後補償の解決が未だされていませんが、軍国日本での最大の被害者は日本国民であったことも忘れてはならないと思います。 北朝鮮は将に“この道”を追っているのです。共産主義による工業発展・経済発展に破綻し、天候不順も一因かも知れない農業生産の不振から国民生活は事実上出来なくなりました。 そこで、国民の不満を抑える為軍部独裁による戒厳令状態が続け、諸外国による食糧支援、医療支援も軍部によって抑止され国民レベルに展開させないのです。 それでも、共産主義による朝鮮統一と言う夢を追って、偽ドル札製造、麻薬・ロケット輸出によって外貨獲得をすると共に、日本人・韓国人拉致による他国侵入・他国攪乱を拡大させています。 今回の核拡散防止条約(NPT)の脱退声明に対して、朝鮮国民は拍手喝采で世界を敵に回して、米国帝国主義への非難を声高に放映しているのです。この様な情勢は、従来の友好国である中国、ロシアもこれでは困惑するばかりでしょう。 軍国日本の轍を踏んで、自暴自棄の戦争突入だけは避けなければなりませんが、譲歩を前提とする対話では解決となり得ません。共産主義・軍国主義による体制は崩壊寸前ですから延命に荷担することなく、押しつぶされている北朝鮮国民を救う国際舞台への復帰を第一に考えて、困難な国交正常化交渉をして行かねばなりません。 ナチスドイツの強硬姿勢に譲歩した英国首相チェンバレンは一時的に領土割譲をドイツ近隣国をせまり、融和政策が効をそうしたかに見えましたが、ナチスのポーランド侵攻によって一敗地にまみれたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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