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鈴木貫太郎氏は1945年連合国のポツダム宣言を受託決定した内閣総理大臣です。
その孫である鈴木哲太郎氏が文藝春秋1988年8月の巻頭随筆で「祖父・鈴木貫太郎」の思い出を次の様に綴っています。 私は戦争終結の意志について祖父を信じていたけれど、ポツダム宣言と言う絶好の機会にそれを黙殺したり、同宣言に関して「天皇の統治権は連合国最高司令官に従属する」との語句に不必要に-と私には思われた-拘ったりするのを見て、この信頼が動揺した時があったのも事実である。若かった私には、軍部専制体制下における首相の難しさなど分かる筈がなかったのだ。戦争終結の時機と言うのは、結局は原子爆弾とソ連の参戦とを待たねばならなかった。非常に大きなショックと実質的な打撃とを受けた軍部は有効な反対を組織することが出来なくなり、聖断による終戦が可能となったのである。 1945年8月13日朝、祖父は老子の中の次の文句を指して私に言った。 「敢に勇なれば死し、不敢に勇なれば活く」 それに続けて「祖父の心が良く分かる」と日記に書いているのだが、今となっては自分でも明らかで無い。 この語句を当時のコンテキストに於いて考えれば、「今以て戦争継続を勇ましく主張する者がいるが、そうなれば徒に人を殺し、日本民族に死をもたらすだけであり、戦争終結に勇敢であって初めて活路が開ける」という意味が常識的であろう。だが、果たしてそう言う意味だったのか、当時は気づかなかった深い意味を秘めていたのでは無いかと、後年の私には思われたことである。 第二次世界大戦下の日本は軍部独裁で、先の「横浜事件」でも分かる通り治安維持法で自由意見は徹底的に弾圧されました。国会議員も体制翼賛会で封じ込められて、自由意見は抑圧されたのですがしぶとく生き延びて戦後復興に寄与した人間がいたことに感謝せざるを得ません。 北朝鮮は3カ国会談で核兵器保有宣言と言う、体制維持の為の最悪の選択を取りました。軍部独裁下では当然と思ったのでしょうが・・ 今回のイラク、近い将来の北朝鮮では抑圧どころか反体制意見は全て抹殺されてしまっているでしょうから、体制崩壊後の復興は前途程遠しと思わざるを得ません! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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