今日は5回目の月命日で、結婚40周年記念日でもあります。
結婚式は東大本郷キャンパスの赤門近くにある学士会館別館で行い、新婚旅行は下五島の福江島でありました。その頃は沖縄も返還されていませんでしたので、福江島西端の大瀬崎断崖が日本の最西端で、家内も五島育ちでしたが下五島の方は行ったことが無かったのでそうしたのでした。
住居は横浜市港南区笹下町にある会社の新婚社宅でしたが、建設中で完成が6月でしたので、私の親宅に2ヶ月間同居することになりました。
1970年4月初旬、家内を本郷キャンパス案内に連れ出した時の写真で、三四郎池から安田講堂を望んだものです。住居が変わるので婚姻届も横浜に行ってから提出しようと言うことで、その頃は未だ籍が入っていなかったのでした。
![三四郎池](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/89/0000034289/45/img390b8785zikezj.jpeg)
理由にもならない理由で、入籍は8ヶ月後の12月1日と遅れ、長男誕生は翌年4月末でしたから、戸籍上は「出来ちゃった婚」となりました。
何か申し訳がありませんが、遠い昔のこととなり、もう許してくれるでしょう!
その後も慎ましやか生活が続き、次男誕生、アメリカ駐在となっても、裕福な暮らしは実現出来ませんでしたが、まあ充実した家庭中心の人生でしたと思うばかりです。
「生者必滅 会者定離」と言いますが、本当にそう思い、近頃つくづく身に沁みています。