孫娘は文京区の公立小学校では、割と知られた誠之小学校に4月から入学する予定でしたが、急遽親の転勤で名古屋に引っ越すことになりました。
考えてみますと、私も1948年4月に栃木県から静岡県への再疎開となりましたので入学式はありませんでした。
物資の無い頃で、ちびた下駄とモンペ、セーターは兄からの下げ卸でした
東京ではしもやけが酷く外科切開もありましたが、栃木でそんなこともなくなりました。
家内は、中国の大連生まれ、義父が満州鉄道の参事であったことから、敗戦後の資産整理を命じられて、帰国が遅れて大変だった様でした。
幼児の時代は慢性肺炎で弱かったのですが、帰国後の抗生物質投与で丈夫になり、無事に五島の小学校に入学となりました。
次男も、小学校入学直前の1980年2月1日に、米国テキサス州ヒューストンに引越しすることになりました。
現地米国小学校は9月に入学、補修学校の入学は4月、ランドセルも無いので、何か味気ない入学式となりました。