テーマ:徒然日記(22886)
カテゴリ:Goto Islands
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がユネスコに提出する世界遺産登録の暫定一覧表に入ったまま、別の候補が登録申請となって、なかなか進展していません。
そんな中、天正遣欧使節団の千々岩ミゲルは従来棄教したと言われていましたが、実は隠れキリシタンだったのではないかとの新説が出て来ている様です。 長崎大村空港に渡る箕島大橋の袂に天正遣欧少年使節像が建っていて、手前から、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの順に並んでいるそうです。 帰国後はキリシタン禁教令が施行され不幸な後半生だった様で、伊東マンショは司祭となり比較的早くに逝去しましたが、千々岩ミゲルは諸般の事情で棄教、中浦ジュリアンは壮絶な殉教、原マルチノは国外追放されてマカオで死亡となりました。 しかし、棄教者とされた千々岩ミゲルは、実は隠れキリシタンとなったのではないかと言うのです。 諫早市多良見町に、ミゲル夫妻の墓とされる場所があり、古い石碑には仏式で男女の名が刻まれている。 発掘すると、石碑の下には、長持ち状の埋葬施設らしき穴があり、5色ビーズが59個、半円形のガラス板が見つかって、キリシタンの聖具とされると言うのです。 人間の骨も見つかって、25~45才の女性の墓とされ、もしミゲルの妻なら、隣接してミゲルの墓がある可能性が高いとも言うのです。 千々岩ミゲルは、日本と言う異文化に適用しなかったイエズス会に異を唱えて、脱会はしたが、信仰は捨てた訳ではなかったと解釈も出来るとされ、ミゲルの復権と通説の再検討を促しつつあることは確かだ。 来夏には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界遺産委員会で審査されるが、もし、千々岩ミゲルが生涯信仰を胸に秘めていたとしたら、彼はその先駆けだったかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.16 10:03:09
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