テーマ:好きなクラシック(2324)
カテゴリ:Classic Music
被爆しながらも、原爆病の治療を研究しつつ、闘い抜いた永井隆博士を讃える「長崎の鐘」を、本当に久しぶりに聴きました。
藤山一郎 「長崎の鐘」 未だ、全国的には広く知られていなかった1949年に歌われたことから、その悲惨さが知られて、世界的に拡がった原水爆禁止運動に発展する切掛けとなりました。 亡くなった家内は長崎県出身ですが、満州の大連生まれで1946年迄新京にいて義父が参事として満鉄のソ連・中国への移管手続きの為留め置かれたこともあって、原爆被害にあっていませんが、親戚には原爆手帳を保持しつつ原爆後遺症で亡くなった方も多くいたのです。 作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而、唄: 1 こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る 2 召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る 3 つぶやく雨のミサの音 たたえる風の神の歌 耀く胸の十字架に ほほえむ海の雲の色 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る 4 こころの罪をうちあけて 更け行く夜の月すみぬ 貧しき家の柱にも 気高く白きマリア様 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る 原爆に被爆しながら献身的に被害者の救護にあたり、病床に斃れてからも、平和を希求する多くの著書を書き続けた長崎医大教授・永井隆博士について歌った歌です。 作詞依頼を受けたサトウハチローは、永井から贈られた著書を読んで感動し、全身全霊を捧げて作詞したといいます。 それは作曲の古関裕而も同じで、短調で始まった曲が、途中で明るい長調に転じ、悲しみに負けないで、未来に希望を持とう、という歌詞のメッセージが伝わってきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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