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多分、再放送だったのでしょうが、懐かしく拝見致しました。
会社勤続30年を記念して、30万円の旅行券を頂戴したのは、1994年のことでした。 それに30万円を追加して、家内と二人でヨーロッパのドイツ・オーストリア・チェコの旅に出掛けたのは1995年10月中旬でした。 チェコのプラハには、ウィーン郊外のHeiligen Stadtでベートーヴェン散歩道を歩いた後に、オーストリアから国境を越えて向かったのでした。 ヨーロッパ道路地図は持参したのですが、そのルートは表示外の処で、やみくもにプラハを向かっている積りでしたが、案の定迷ってしまいました。 歩いている若者に尋ねた処、彼はドイツからの留学生で、「お困りでしょう!」と地図を持って来て、ルート案内してくれたのは幸いでした。 夕刻に、予約してあったホテルをプラハ城の崖下に見つけてチェエクイン、カレル橋を渡って旧市街見物に出掛けました。 翌朝は、再度旧市街を訪れ、市庁舎のカラクリ時計、殉教者フスのブロンズ記念像、ティーン教会、ミクラーシュ教会等を見物しました。 広場周辺の店で、記念となりそうな銀メッキカップを買って、午前10時半に、ドイツのNurnbergにピルゼン経由で行くべく、プラハを後にしました。 私も家内も50才代前半、健康に何の不安も無かった懐かしい時代でした! 市内中心部をヴルタヴァ川(ドイツ語名:モルダウ)が流れる。古い町並み・建物が数多く現存しており、毎年海外から多くの観光客が訪れる。カレル大学は中欧最古の大学である。尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれる。ティコ・ブラーエが天体観測を行った天文塔もそのひとつである。 市内にはヤン・フスが説教を行ったベツレヘム礼拝堂があり、旧市街広場にはブロンズの記念像も建てられている。 ウィーンよりも遥かにドイツ寄りに位置し、ボヘミア王を兼ねたドイツ人が神聖ローマ帝国皇帝をつとめ、この地を首都に戴かれていた時期もあることから、独自のスラブ文化と併せて一種の国際性も古くから備えた都市となっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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