1957年10月4日、ソ連は人類初となる人工衛星「スプートニク1号」を高度900㎞の地球周回軌道に打ち上げ成功との新聞ラジオ報道がありました。丸い本体とアンテナだけでできたシンプルな形状の衛星でしたが、先を越されたアメリカにはショックで、急遽米海軍Vanguardに依るロケット打ち上げを行ったのですが失敗となりました。
翌年、漸く米陸軍のロケット打ち上げに成功するのですが、ドイツV2ロケット開発の責任者フォン・ブラウン氏を抱え、世界のロケット技術をリードしていたと自負していたのですが、それ以外の技術者とV2ロケット本体を持ち帰ったソ連に先を越されたのです。
sputnikはロシア語で「衛星」の意味で、秒速8㎞、約95分で地球を1周します。直径58㎝、重さ83.6㎏の衛星は、温度や気圧を測定して地球に送信する機能を備えており、発信された電波は世界各地で受信されたそうです。
日本では、東大生産研の糸川英夫教授が、小さなペンシルロケットを利用した実験室段階でしたので、彼我の技術格差に驚き、高校1年生の時でしたが、将来は東大に入って糸川教授の下でロケット開発に関わりたいと思った記憶は今でも鮮明です。