Salzburg Global Seminar
Salzburg Global SeminarFacebookのほうでは既に情報をアップしておいたのだが、今月上旬に、オーストリアのザルツブルグで開催されたザルツブルグ・セミナーというのに参加してきた。このセミナー自体は、もともとハーバード大学の3人の大学院生達が1947年の終戦直後に始めたものらしく、すでに60年以上も続いている伝統あるセミナーらしい。現在は、数多くの財団がセミナーのスポンサーとなっていて、毎年いくつものセミナーが、このザルツブルグで年中開催されている。セミナーには、世界各地から、研究者だけでなく実務家、役人、ジャーナリストなどが呼び集められて、時々の重要な世界的問題を議論し、何らかの方向性を見い出して、それを出資者であるスポンサーにフィードバックするというミッションになっている。つまり、もともとはかなりハイソな人々が世界中から呼び集められて、豪華な宿泊施設でミーティングを行うという催しであるようだ。そして、フリーマン基金というところが、俺の所属する大学のスポンサーになっていて、毎年このセミナーへの人の派遣を支援してくれている。それで、今回はたまたま俺が選ばれた関係で、栄えあるセミナーに参加させていただくことになったというわけだ。(俺が参加するというのは、場違いな感じがしないでもなかったが(笑)、まぁ、成り行き上、大学からの代表ということであるから仕方がない。)俺が参加したセッションは、セッションナンバー483“Economic Growth and Social Protection in Asia”で、アジアにおける経済成長と社会保障について議論するものだった。初日のディスカッションの様子はすぐにPVとしてYoutubeに流されていた。このPVが、まるで何かすごい討論会が始まるかのような、映画の宣伝ビデオを思わせる美しい出来栄えになっていて驚いた。また、セミナーの様子を伝えた関連画像もフェイスブックのページから見ることができる。なお、ザルツブルグ・グローバル・セミナーのHPもある。それから、宿泊所及び会議場となっていたシュロスと呼ばれる施設は、もともと18世紀に築造された庭園をそのまま再利用して作られたものらしく、とても綺麗で荘厳な感じのする所だった。この施設のPVもYoutubeにアップされているのだが、これを見ると、その美しさに目を見張るはずだ。とてもよくできたPVだと思う。セッションタイトルにあるSocial Protectionという言葉は結構くせもので、経済学的には社会保障や年金のようなものを意味するのだと言えるが、社会学者や政治学者からすれば安全保障や移民救済なども含む、かなり幅広い概念となってしまうので、言葉の定義が定まらないまま各討論者が議論すると、あまり話がかみ合わないということになる。このような討論会に参加すると、だいたい毎回感じるが、その辺りの用語の用い方のすり合わせがかなり重要だ。俺的には、このSocial Protectionという問題は、日本における高齢化社会とその下での年金維持を如何に行なうべきなのかという問題だと考えて参加したのだが、何人かの経済学者や地理学者も、同じようにこの問題を語っていた。日本における問題は、以前、このブログでも語ったことがある世代間格差の悪化こそが問題であり、そのための制度変更こそが喫緊の課題であることに変わりは無い。この構造は、人口ピラミッドから、直ぐにシンガポールや韓国も直面する問題であることが分かっているので、年金制度問題はおそらくアジアの幾つかの国で共通の問題になるだろう。だが、興味深かったのは、アフガニスタンから参加していた医者と話していた時、彼が語った話だ。社会保障や移民の救済も分かるが、自分達の国は、そんなものをやる以前の段階で、国そのものをどう建て直すかという問題だと、セッションのテーマそのものをひっくり返すような話をしていた。考えてみれば、アフガニスタンの平均寿命は47歳前後なので、80歳以上も生きている平均的日本人の問題は、かなり豊かな国の悩みに聞こえたに違いない。その後、そのアフガニスタンの医者とは、彼の国のことや中東情勢などを話し、首都カブールの治安は全然改善されていないことや、大統領のカルザイは殆ど誰からも支持されていないこと、タリバンはパキスタンとの国境地帯で組織的に養成されていて、それがアフガニスタンの治安を悪化させていることなど、いくつも興味深い話を聞いた。ザルツブルグで撮った画像もいっぱいあるのだが、セミナーが始まる前に辺りを散歩したものを少しだけアップしておこう。シュロスから歩いて直ぐに気持ちのいい草原の広場があり、そこの丘に古城があった。この城は、11世紀頃に作られたものらしく、ザルツブルグの観光名所の一つになっていた。俺がザルツブルグに着いた日は、とても素晴らしい天気で、城も丘も草原も皆美しく見えた。ところで、ザルツブルグと言えば、かのモーツァルトの生まれ故郷であり、そちらの方面の見聞も広げられるかなと思っていたのだが、そんな時間は無かった。また、地元の観光案内の人の話によれば、モーツァルトは生まれてすぐにザルツブルグを去っていて、若い頃にこの地に帰って宮廷音楽家として活躍するも、ほとんど評価されることがなく、最終的にはウィーンで死んでいるので、実はザルツブルグとモーツァルトはあんまり深い繋がりがあるとは言えないということだった。モーツァルトの名前を使った土産物店はザルツブルグにいっぱいあるようだったが、結局全て観光のための道具ということか。ともあれ、オーストリアの小都市ザルツブルグは、ヨーロッパらしい歴史を十分感じさせる美しい街だった。ご賛同頂けるならクリックをお願いします。