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カテゴリ:社会問題
このところ、日本の権力のやり方は少し行き過ぎではないかという事件が頻発していると思っているのは俺だけだろうか?
例えば、一番ポピュラーなものは、民主党の小沢一郎代表の公設秘書が、政治資金記載違反のかどで、いきなり東京地検に逮捕、身柄拘束となった事件だが、あの時、少ない人々があれは明らかに国策捜査ではないかと思ったはずだ。 政治資金の虚偽記載で、事前調査や任意同行もなく、いきなり逮捕されるという前例はおそらくないであろう。 疑わしきは罰せずというのは、法運用の基本的な建前のはずだが、疑わしい奴はとりあえずしょっ引け的なやり方は、権力の濫用に他ならない。 最近では、SMAPの草ナギ剛が、泥酔した状態で公園で裸となり、公然わいせつのかどで現行犯逮捕されたという事件があったが、あれもいきなり彼の自宅まで家宅捜査に入っている。 民主党の鳩山由紀夫氏が「あそこまでやるか」と思わず捜査のやり方に苦言を呈したとのことだが、それはもっともなことであると俺も思う。 報道では、彼の逮捕自体に抗議する声が殺到しているらしいが、公然わいせつの現行犯なので、逮捕自体はやむを得ないのではないかと俺は思うが、いきなりの家宅捜査は明らかにおかしい。 公然わいせつの、いかなる証拠探しのために家宅捜査をする必要があったのか疑問が残る。 政治資金虚偽記載にせよ、公然わいせつにせよ、それら自体は確実に罪だが、現行犯でもないのにいきなり逮捕したり、あるいは、公園での現行犯逮捕直後に家宅捜査までいくのは、明らかに行き過ぎであるだろう。 俺がもしも容疑者側の家族や親類ならば、明らかにこれらの行為は人権侵害であると訴えると思う。 疑わしい者に嫌疑をかけるのは警察の仕事なのかも知れないが、どんな捜査をしてもいいということにはならないし、何をしてもいいということにはならない。 法治国家として法に則り、合理的で適当な範囲でのやり方が当然あるはずだし、また、権力の行使は当然常に慎重であるべきものだ。 実は、同じような危惧を覚えたのが、北野誠というタレントの「失言」騒動による芸能活動の事実上の打ち切りであった。 彼は一体何をラジオ番組で発言し、また、それが全ての番組や芸能活動をクビになる程重大なものであったのかどうか、我々一般の者には何も明らかにされていないのではないか? 有無をも言わせず、いきなり解雇に等しい扱いをするのは、所属プロダクションかマスコミによる職権の濫用に当たるだけではなく、下手をすると、言論弾圧にさえ相当すると俺は感じている。 彼の発言がいかに穏当を欠くような差別発言であったり、団体批判であったり、マスコミ批判であったり、特定個人の批判であったとしても、彼がいかなる発言をしたのかということを、まずは明らかにすることが、健全な民主主義社会であるはずだ。 仮に、彼の発言が重大な内容を含むものであったとしたら、その内容の事実性を明らかにし、もしも誤りやただの誹謗中傷であれば謝罪を求める批判を行ったり名誉棄損で訴え、また誰かへの批判であるならば批判された側の反批判の機会を与えるようにして、何が真実であるのかを明らかにすることこそ、民主的でまともな精神というものだろう。 逆に、彼の弁明を一切認めず、職場を事実上いきなり解雇するやり方は、権力の濫用と言われても仕方がない。 実際、この事件を報道していたニュース番組で、コメントを求められた芸能人が「コメントすることで、私も同じように干されるのは怖いのでノーコメントです」と発言していた内容がYouTubeで流されていたが、そのような恐怖心を抱くのは当然のことだ。 まさに、権力による言論封殺というのは、そのような恐怖を一般人に植えつけるところに最大の目的があるのだ。 このような事態について、事実上誰も、どの団体も何も問題にしていないこと自体に、俺は今の日本社会の不健全さを感じる。 北野誠問題は、彼自身の発言問題よりも、それを巡っての組織暴力的な抹殺行為、いきなりの解雇相当の処分、言論封殺等などの極めて重大な権力の濫用問題がいくつも凝縮されている、看過できない問題であるはずだと俺は思う。 疑わしい奴、生意気な奴、口の悪い奴、態度のでかい奴などなどが、世の中で嫌われやすいのは仕方がないとしても、そのような人々の人生や生活を権力によって簡単に処分したり、権利侵害を行ったりするというのは、全く別次元の問題だ。 似たような事例は、おそらく挙げればきりがないだろうが、昨年ロサンゼルスの刑務所で自殺した三浦和義氏の事件がある。あの時も、日本では一部のマスコミ以外、ほとんどこの問題の重大性を問題にしてこなかった。 彼は既に日本の裁判で無罪となっていたのだ。 その後、万引きなどで捕まっていて、いかにもコソ泥癖が抜けなかった男だったとしても、それだけのためにいきなりアメリカの警察に身柄を拘束され、強制移送されるのは明らかに常軌を逸している。 日本の警察権力や司法は、事実上このような暴挙を黙認している。 既に、日本は第二次大戦直前の軍部や警察権力の暴走と同じような状況に直面しているのかも知れない。 あの時代も、無政府主義者や共産党員、朝鮮人など、世間にとって目障りな存在から権力によって口封じをされたのであるが、国民の感覚はおそらく既に麻痺させられていたのだ。 今の日本社会は、我々自身の時代をとらえる感性に大きく鋭い問題を投げかけているように思われる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.28 12:06:56
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