待てど暮らせど来ぬバスを
昨日の朝はバスで駅に行くことにしていつものバス停に立っていると,どこかのおばさんが親切にそこで待っていても乗せてもらえないと教えてくれました.正確には「そこで待ってると叱られちゃうよ」という表現だったんだけど,彼女,前に運転手に「叱られた」のかな.おせっかいでごめんなさいとなぜか謝る彼女に,おせっかいなんてとんでもない,たいへん助かりましたと丁重にお礼を言って,工事のせいか2,30m離れたところにできていた臨時停車スポットへ.振り返ってみれば一時使用中止になっている停留所の標識には停留所の名前を隠すように紙が貼ってあり,ご丁寧に臨時停車所があることも書いてある.でも見えなかったんですねこれが.私たちが日常どれだけのことを見ているかについては大きな誤解があると思います.そこにあってあたりまえみたいなものは細部をほとんど見ていない.しかもさっきそこには僕より前から待っている男性も一人いたので安心していた.やがて臨時停車スポットにバスが着いて乗り込むと,この男性がかんかんになって運転手に食ってかかっている.あんなことで停留所が移動したのがわかるわけがないじゃないか,なぜ前の標識を完全に取り去らないのかというのが彼の言い分.忙しすぎるのか運転手がとりあわないので,彼の怒りは募ります.なだめるというわけでもなく「きっとまたすぐ使いたいんでしょうね」と言ってみる.「だってあれじゃわかんないよ」と彼.「いやほんとに自分が何も見てないのがわかりますね」「そうだよ見えない」とこのへんは話がかみ合っていないのだけれど,これで一応気が済んだらしくおとなしくなったので,標識を抜いてしまうのは無理としてもどうしておけば良かったのかを考えてみる.たぶん蛍光色の袋のようなもので,使用中止の標識をすっぽり覆ってしまったら良かったのでは? つまり見慣れた標識の雰囲気,無意識のうちに捉えているその特徴が消えるような仕掛けにしなくてはならない.ひょっとしてこれは新しい商売の種かと思いつつあれこれ考えていると駅までの時間は短かった.このあたり,10日前の晩も工事していたっけ.