カテゴリ:旅行・ハイキング
今日は、当初の予定では、大腸検診の入院予備日となっていて何も予定を入れていなかったのだが、一日入院がなくなったので、ぽっかりと一日が浮いてしまった日になった。そこで、昨夜思いついて、本来なら行きたかった「河内三太子」めぐりをすることにした。
河内三太子の一つ野中寺は、毎月18日にだけ重文の「金銅弥勒菩薩半跏像」の開帳を行っている。その日に合わせ「河内三太子」めぐりをする人が多いので、今日を逃すとまた一か月先になるのだった。聖徳太子については、高大の古代史で習い、文化祭でテーマに取り上げることになっていて、早く行きたいと思っていたものである。 朝8時半に家を出て、阿倍野橋から近鉄電車に乗り、貴志についたのは9時半だった。9時45分発の金剛バスに乗り、太子前には9時55分に着いた。一つ目の寺:叡福寺の南大門の前である。永福寺境内には聖徳太子の墓である「永福寺北古墳」がある。直径55メートルの円墳で、聖徳太子、その母、妻が葬られている。 見どころは、その古墳とご廟、聖霊殿、多宝塔、南大門などであった。古墳の奥の山の頂上まで登ってみた。高さは50メートルほどか。1時間ほど見学し、10時57分のバスで喜志駅に戻った。11時21分の電車に乗り、藤井寺には11時35分に着いた。 写真は、永福寺。上:南大門、中:金堂、多宝塔、聖霊殿、下:御廟、同、北古墳の一部 「河内三太子」とは関係ないが、駅の近くに葛井寺があり、ここでも毎月18日に「十一面千手観音」のご開帳をしている。歩いて数分で葛井寺に着いた。目的は観音様を拝観することだけ。一般に千手観音と言えば、1つを25本として実際には40本のものをそう呼んでいるが、葛井寺のものは本当に1000本の手があるのだ。開帳と言っても像は暗く、5メートルほど離れて拝観するのであまりはっきりとは分からない。確かに1000本ありそうである。 続いて藤井寺駅に戻り、野中寺行きのバスを待った。12時23分のバスに乗り野の上には12時30分に着いた。ここは聖徳太子と蘇我馬子が建てた寺である。ここでの見ものは「金銅弥勒菩薩半跏像」である。その神々しい姿を写真では見たことはあっても実物を見るのは初めてであった。驚いたのは像が小さいことである。恐らく高さ20センチくらいではないだろうか。(説明書には18.5㎝) 境内を回遊し、13時5分のバスに乗って三度藤井寺駅に戻り、北口に出て駅前の店で昼食を取った。13時40分のJR八尾行きのバスに乗り、14時10分に太子堂に着いた。そこから5分ほどで最後の目的地大聖勝軍寺に着いた。ここは、聖徳太子が開いた寺で本尊も聖徳太子である。ここでは何を見ればいいのか分らず、いろいろな堂宇があることを見ただけで終った。 写真は、上:野中寺の山門、弥勒菩薩像、金堂、中:大聖勝軍寺の山門、聖徳太子と四天王像、本堂、下:葛井寺の楼門、大師堂、十一面千手観音堂 大聖勝軍寺を見終わったのが14時35分ごろ。そこからJR八尾駅まで歩き、八尾から一駅だけ乗って久宝寺で降り、おおさか東線に乗り換え、放出で東西線に乗り換え大阪天満宮に着いたのは3時15分ころで家には15時半に着いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.18 21:47:05
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