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カテゴリ:俳句関連の本の感想
大晦日からこっち一句も詠んでいない。これみよがしの「詠んで詠んで」な雰囲気に気が乗らなくて。
追撃兵向日葵の影を超え倒れ 水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり 射たれたりおれに見られておれの骨 六林男の詠む戦場句は実体験に基づいたもの。三鬼や三橋敏雄とは違う。彼らのは内地にいて想像で詠んだものだから、出来は良くても白ける部分があった。誇張や極端に走ることなく平坦に禍々しいことを詠み、嫌みがない。だけど六林男は三鬼の弟子。六林男の六は名前だけは三鬼の倍にという気持ちからつけたそうな。 「本当なら我らはあの戦争で亡んでしまっていた」という感慨をいつまでも引きずるような戦後の句。 深山に蕨とりつつ亡びるか 放射能雨むしろ明るし雑草と雀 月の出や死んだ者らと汽車を待つ 軽い独白の装いで「亡びるか」と、自分でも呟けるような気がして「カケス集う木の名知らぬまま亡びるか」「初烏返事をされた亡びるか」と戯れてみたところで実感が湧かない。亡べないのだ、私は、私たちの世代では。亡ぶに至る前に積み重ねられていなければならない諸々の何かが足りない。その何かはよくわからないけれど。 故人への感傷抜きに読むために、もっと現役俳人の句も読んでいかないと、と、思っては、いるものの。の。 春陽堂文庫 1993年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/05 01:16:32 AM
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