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カテゴリ:いいこと見つけよう
先日、NHKでグーゴルの特集番組がありました。
全部を見てはいませんが、グーゴルがどんな世界を作り出し、その世界で生きている人々は何をしているのかを、映し出していました。 中でも、「検索結果が操作されたのではないか?」 …ある会社のホームページがある日突然、ランキング1位から、ランキング外に、つまり「検索結果に表示されなくなったことによって、売り上げに致命的なダメージを受けた」として訴訟を起こした件が、印象に残りました。 訴えられたグーゴル側の言い分は、「その会社のホームページには価値がないと判断した」 もっともだと思いました。 グーゴルには、あるホームページについて「価値がない」と判断する自由があります。 同時に私にも、「グーゴルは、私にとって価値があるか?」を判断する自由があります。 そして私は、結論を下します。 「グーゴルは、私たちと同じような人間が運営している、数ある企業の中の一企業であって、決して絶対的な存在ではない」 インターネットは開けた世界であると共に、狭く閉じた世界でもあります。 ひとたびアップロードされたものは、世界中からアクセスできますし、こちらからも世界中にアクセスできます。 反面、どんなに価値があると思われるものでも、どこかの誰かがアップロードしてくれなければ、インターネットの世界では存在しないのと同じです。 試しに、自分にとって価値があると思われる単語を、グーゴルで検索してみてください。 友人の名前、大好きなもの、何でも。 検索結果は、今インターネット上に存在するものの中から、グーゴルがリサーチし、価値を判断して順位をつけたものです。 もちろん、私自身のランキングとは一致しません。 しかし仮に、私の大好きなものが検索結果にまったくヒットしなかったとしても、この世に存在しないわけでも、無価値だというわけでもありません。 同じ意味で、「インターネットで何でも調べられる」という文章は、正しくもあり、間違いでもあります。 インターネット上の文章は、必ず誰かが書いてくれたものであって、絶対・客観的な真実とは程遠いものです。 書いた人がその内容に責任を負うのであって、いつも正しいのは「その人が書いた」という事実だけです。 誰も書かない真実、というものは、いつでも存在する。 所詮、インターネットは「世間の噂話」とそんなに変わらない。 だから、信じるのも信じないのも自由。 「書いた人を、信じるか?」これが、私の基準です。 信じると決めるのは、私の責任。 「100パーセント信じられる人」を、あなたは知っていますか? …ここまで考えると、私はどのホームページにも、「絶対」の内容を求めていないことに気付きました。 私自身が、「絶対」と言える人間ではないから。 「人生、ぼちぼち」芋たこなんきん(NHK朝ドラのせりふより) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.03 00:51:28
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