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現在は個人情報保護法があり、とても考えられないこととなったが
私が10代の頃は、雑誌に当たり前のように個人の住所が載った。 中学生の時に、月刊の少女向け小説誌を2冊購読していた。 一冊は学研だったかの「小説ロマン」で、もう一冊は…完全に失念した…。 当時は旺文社や学研の学年誌などにも、当たり前に「文通希望欄」があり、 ペンフレンドを求める読者が、 「ピアノが趣味の中2です。海沿いに住む人と文通したいです」 などど希望を書いて、住所と名前を公開した。 そういう私は、国内に13人、イギリスに1人(英語で文通)を持ち、 月に1度とか、2月に1度くらいのペースで手紙のやりとりをしていた。 驚くことに芸能誌では、有名人のファンレターのあて先として自宅住所が明かされ、 私も当時、歌がとても上手で大好きだった女性歌手に手紙を出したものだ。 彼女の名前は可愛和美さん(自死された可愛かずみさんとは別人)。 とにかく歌唱力があり、ルックスもかわいかった。 ファンレターを書いてしばらくしたら返事が来て 美文字なことに、なおさら好感を持った。 縁があったのだろう たまたま参考書を買いに出かけた横浜のデパートで 彼女のサイン会が行われていた。 デパートの屋上で新曲発表会をしたりサイン会をしたりは、よく行われていた時代だ 私はサイン会の列に並び、緊張しながら和美さんに言った。 「ファンレターのお返事を、ありがとうございました」 彼女は顔を上げて私の目を見、それからニコッとほほえんだ これに勇気を持ち、電電公社の電話番号問い合わせを利用し、 住所を告げて、彼女の自宅の番号を教えてもらった。 もちろん親が買い物に出掛けていた時間に、だが… 和美さんは、渡辺プロダクションの寮に小柳ルミ子さんと同室で暮らしていた。 「真面目そうな子だと感じたわ」そう言ってくれて そこから自然に、手紙のやり取りが始まった。 高校を卒業した頃に銀座の有名フランス料理店へ招かれ、ご馳走にもなったっけ。 やがて都内の住居マンションに何度も呼んでもらえるようになり、 彼女のファンクラブを任されるようにもなった。 4枚目シングルの「シャム猫とのら犬」はそこそこヒットしたが、 時代は辺見マリさんなどが大ヒットを飛ばしたセクシー歌謡路線となったため 彼女はそれ以上のヒットに恵まれなかった。 やがて、和美さんは本格的な歌唱を求め、 本名の「額田和代」名義や「かあいかづみ」として、活動の場を替えた。 和美さんは別だったが、子供の頃のペンフレンドとは 大学受験を前に、すべて終止符を打ったと記憶する。 時代は変わり、今は学校の卒業生名簿ですら作られなくなった。 護られて助かることも、もちろんあるが、 あの頃の、穏やかな風潮は、忘れられない良い想い出だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年01月25日 14時42分25秒
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