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2021.09.06
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カテゴリ:ショートショート



  力道山のプロレス中継を西武新宿駅前の街頭テレビで見てた頃の苦い思い出だ。西新宿の裏手、通称小便横丁(今は想い出横丁と呼ぶらしい)にある、五人座れば満席のカウンターだけの大衆飲み屋”菊乃屋”でのことだ。
 その店の女給、春ちゃんは美人じゃなくて、やや太り気味、色気もないが気さくで、明るくて、会話上手、話題も豊富なので、常連の親父がかまう看板娘としては丁度いい。
 その春ちゃんに、どういう理由(わけ)か、自分が気に入られたのだ。誰に対しても好いているようにみせる酒場の女給の手管かもしれないのだが、貧相な風貌の自分は今まで女という生き物から好意を寄せられたことは皆無だったので、顔や態度にはださないものの、甘美な果物に蟻が吸い寄せられるように、三日に一度はその大衆飲み屋の”菊乃屋”に通うようになったのだった。

 つまみはおでんに、お新香、煮物が中心で、千円もあれば、飲んで釣りの来る店だった。赤提灯がぶら下がる小便横丁の路地にはギターの弾き語りがくることもあった。北島二郎とか五本ひろしとか前川しよきとかいう流しはプロ顔負けの歌の上手さだった。
 給料日前、自分の懐が淋しいのを見抜いたのか、春ちゃんは「今日は300円でいいわよ、さっきの男(ひと)柏木町で乾物屋やってる、助平な社長さんなの、あたしのお尻触ったから、500円余計に請求しちゃったからさ、」
 あっけらかんとそんなことも口にした。自分は春ちゃんの肉付きのよいが尻っぺたが好きだった。
「暗田さん、趣味はなんなの?」
「趣味なんて言えるほどのものは何もないけど、まあ、本を読むぐらいかな、この頃は葛西善藏に嵌まってる、」
 知らない小説家だろうと、見くびっていたら、春ちゃん目をまん丸くして、
 「えっ、本当ですか?、私も葛西善藏、好きなんです。どの小説の題名も意味深んで、それだけもう痺れちゃうのよ、わたしは、小説の書けない小説家を書いた”放浪”が一番好きだけど、ねえ、暗田さんはどの作品が好きなの?」
 「”悲しき父”かな、”悪魔”かな、”贋物さげて”かな、いや、”奇病患者”もいいな、」
 「どの作品もあなたの名前みたいに、暗い題の私小説よね、”蠢(うごめく)”なんか、自分がいじめられてるみたいに書いて、いつも自分が被害者気取りなのよね、、」
 自分と春ちゃんは他に客がいなくなると、二人で葛西善藏の話をした。

 二人とも葛西善藏の文学というより 暗い谷の方へ引き摺られなければ生きていけない、あやふやで危なげな生き様に惹かれてしまうのだった。
「私たち似てるの? どうして、だらしなく、堕落していく作家にに惹かれてしまうのかしら、故郷の弘前に奥さん残してほかの女の人と同棲して、子供まで産まして、やりたい放題で酒に溺れ、迷惑のかけっぱなしの恥知らずなのに、、、あんな男、目の前にいたらぶんなぐってやりたいのにね、、」
「そういう春ちゃんには葛西善藏は近づかないと思うがな、善藏は飲みたくて酒を飲んでるんじゃないんだ、」
「じゃあ,暗田さんはどうなの?、、、 毎日飲みに来てもいいけど、葛西善藏みたいにぐしゃぐしゃに酒に溺れちゃだめよ、破滅型になっちゃだめよ、弱者の振りしないでね、暗い顔もしないで、、」
「あんたたち、小便横丁の店に似合わない話をしてるわね、」
 会話に入ってこれない女将は不機嫌な顔して、煙草をふかしていたが、不意に、
「春ちゃん。私今日は上がるわね、後はお願いね、、」

 自分と春ちゃんは飽きずに葛西善藏の話をしていて、気が付けば、時計は午前一時を廻っていて、小便横丁の提灯もほとんど消えていた。
「あら、もうこんな時間、電車もうないわよ、今日は泊っていきなさいよ、朝まで葛西善藏語りましょう」
 店の二階の六畳の部屋の煎餅布団に寝ころんで、茶碗酒を手に、破滅型作家の葛西善藏について窓の外が明るくなるまで話しこんでいた。
「北津軽郡五所川原、弘前の松森町、行ってみたいわね、寒い所かしら、、」
「雪の舞う中で津軽じょんがら聞くのは凍れそうだな」
 明け方、自分の息子は多分そうなるだろうとの勝手な思い込みで、むくむくと盛り上がり、あっさり、春ちゃんの股の間に滑り込んでしまった。春ちゃんは眼尻に涙を溜めて、染みのついた天井を眺めていた。自分は汚れた灰色の闇を抱えたまま始発電車で家に帰った。

 それから、自分は、罪の意識もあったのだと思う、気まずくなって、なかなか”菊乃屋”の店に入れなかった。小便横丁にまでは足を運ぶのだが”菊乃屋”の暖簾を潜る度量はなく、ごみ出しをしている春ちゃんを路地の角から眺めても声はかけられなかった。
 優柔不断な自分は、西武新宿の駅前の街頭テレビの前で、なんとなく力道山のプロレス中継を見ては、不機嫌な顔をして帰路に着く日が続いた。うじうじ、怖じ怖じ、苦悶して十日目、清水の舞台から飛び降りつ心境で、
 「えいっ、春ちゃんに軽蔑されたら、死んじまえばいいじゃないか、、」
 目を瞑って半分やけくそ、小便横丁の”菊乃屋”の暖簾を潜った。
 「いらっしゃい、」
 いつもの女将の声、でも、春ちゃんの姿が見えなかった。狭い店隠れる場所などありゃしない。
 「春ちゃん、突然津軽へ旅に出るからと言って、店辞めちゃったのよ、暗い顔してたから、あたし、死にやしないかと心配なの、、あの子、ああ見えても、結構繊細だったのよ。それにねえ、お店の看板娘だし、私みたいなお婆ちゃんじゃ、お客も寄り付いてくれないわ、困ゃったああ、、暗田さんとなにがあったのっ?、、、」
 女将は恨めし気に自分の方を見ていた。お春ちゃんの幻を探すようにカウンターの隅の古い映画のポスターに目をやる。ふと、葛西善藏の小説に出てくる鎌倉山ノ内の愛人、おせいを思い出した。コップの冷酒を一気に飲んで、自分は小便横丁を後にした。

 以来、新宿西口のその路地に足を踏み入れることはなかった。西武新宿の駅前の街頭テレビの前には人だかりができていた。テレビの画面の中では力道山がフレッドブラッシーに空手チョップを見舞っていた。
 「うおぉー、、」「強いぞ力道山!」
 群衆は盛り上がり、歓喜の喚声が渦巻いていた。自分は人混みに圧されながら、深い寂寥感に支配されていて、力道山も虚ろに見えた。口が”春ちゃん”と動いた。眼尻からはしょっぱい液体が毀れていた。
  

​作:朽木一空​

 葛西善藏 明治20年、青森県弘前松森町生まれ。
「哀しき父」「湖畔日記」「悪魔」「贋物さげて」「父の葬式」
「酔狂者の告白」「蠢く者」「放浪」「奇病患者」「不能者」「死児を産む」


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最終更新日  2021.09.06 10:54:06
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