転載【三角関数が解けない人生と、自炊ができない人生。本当に困るのはどっちだろう?】
最近はFacebookをチェックすることが多くなっている。今朝は、下記の記事を読んでとても大切なことだと思ったので転載します。【三角関数が解けない人生と、自炊ができない人生。本当に困るのはどっちだろう?】今日、藤島中の授業を見学してハッとした。僕たちは「生きる力」の本当に重要な部分を、まだ教育に落とし込めていない。---■自炊ができない人生は、実は“3重のハードモード”になる。① お金がどんどん消えていく。外食1000円、自炊300円。この差は1年で50万円。家族ができれば100万円を超える。節約どころか、若い頃のスタートラインから差がつく。② 健康が壊れる。1食1000円の外食で、野菜タンパクビタミンミネラル全部そろえるのはほぼ不可能。栄養が足りなければ体調は落ち、仕事のパフォーマンスも落ち、給料も上がらない。肌も荒れる。体型も崩れる。モテなくなる。そう、「自炊できない」はじわじわ人生を削る可能性が高い。③ 子どもの未来も巻き込む。自炊できない大人は、子どもの栄養管理も、自炊教育も“外注”になる。そんなに簡単にできるだろうか。正直、難しい。そして1と2のリスクは、子どもにそのまま引き継がれていく。---■だから僕は思う。日本の義務教育は、家庭科をもっと本気で強化すべきだ。“教科書を読むだけの家庭科”“グループの誰かが調理して終わりの実習”こんなの、もう終わりにしよう。子どもが自分の人生を生き抜けるようになるために、本物の自炊スキルを、義務教育のど真ん中に置くべきだ。---たとえば月1で自分で弁当を作る「お弁当の日」自分たちも給食を調理する学校制度こんな大胆な仕組みが、日本には本当に必要だ。なぜならここは、食文化創造都市・鶴岡。給食発祥の土地。食の本質を語れずに、どうして“生きる力”を育てられるのだろうか?行政も、先生も、親も、本当に「食」と「生きる」を理解しているだろうか?もし理解できていないのなら——それは、子どもたちの未来にとって致命的だ。今日、藤島中の授業を見て、心が揺さぶられた。私たちは“食の教育”を、本気で進めるべきだと。お金だけの平等、効率化が目的の施策。そういう熱と想いの籠もっていない政策は、もうやめよう。子どもの未来のため。そこに焦点を当てた本物をやっていきましょう。皆さんからのご意見も、お待ちしています。https://lin.ee/DzuWHSP (喜多へのLINEです)自分で料理ができることは、一生を通してとても大切な技術だと思う。最近は、コンビニやスーパーでもお惣菜やお弁当がより取り見取りで、私も時々は利用する。しかし、基本的な食生活がそれだととても心配だと以前から思っていた。すでに、家庭ではほとんど料理をしていないという家族も増えてきているようにも聞いている。超高齢者世帯ならばそれでも仕方がないかもしれないが、子育て中の家庭ではとても心配だ。家庭料理は簡単で良い。蒸す、炒める、煮る、焼くの基本的な方法を知っていれば、子どもでもできることが多い。食材も安いもので良い。その技術と食材の知識(栄養、カロリーなど)をできれば学校で教えてほしいと思う。教えられる家庭が少なくなっているならば、子どもの生きる力を育てるためには必要な教育だから。私の子ども時代は「技術家庭科」が中学からあって、男子は「技術」女子は「家庭」の技術を学んでいた。あれは完全に男女の性別での教育で間違っていたとあらためて思う。今はそんな時代ではない。家庭において、生きるために最低限必要な技術を学ぶ機会は本当に少なくなっているのではないか。これは、大人が真剣に考えなくてはならないと思う。そういえば、「食育」が推奨されていたなと思い調べたら、「食育基本法」というのが20年も前に前に制定されていた。「食育基本法」←これがいちばんわかりやすいかな。いつも感じるのだが、文科省などは結構子どものための政策を考えて進めている。ただ、それに対する予算や具体的な教育実践へのサポートが不十分なのか、あるいは現場がそれをあえてスルーしているのか、ほとんど効果的な教育につながっていない感じがする。何とか本気になってほしいです。