昨日のブログで書いたとおり、昨晩の夕食はフキとウド料理が並んだ。
デザートは軟らかめの蓬餅。
最近はわざわざ山菜採りに行くことがなくなったのだが、
若い頃には雪解けと同時に夫や父は山菜とりに励んだ。
アイヌねぎ(行者ニンニク)、タケノコ(こちらは本州とは違う細いもの)、
ぴょん、わらび、コゴミ、タランボの芽、山ウド、などなど。
タケノコ採りの日は、早朝薄暗い、いやまだ暗い時間に出かけるので、朝が弱い私はあまり行きたくなかった。
実家の周囲にも食べられる山菜は豊富で、蕗やタランボ、イラクサ、セリなどは、
夕食のためにつまんできたりしていた。
しかし、イラクサを採るのは鉄の皮膚を持つ祖母の役目であった。
農家だったが、その時期には収穫できるものは山菜しかなかったので、
そんなものを常食していたのだ。
子どもの頃はこれらの食材は好みではなくて、
「また草ばっかり」と恨めしくも感じていた。
しかし今となっては、何と豊かに自然の恵みをいただいていたのかと思う。
自然のパワー一杯の食べ物と、学校まで徒歩一時間の通学で
私達の丈夫な体は出来上がったのだ。
タンパク質としては、その日鶏小屋から取ってきた卵を食べていたし、
納豆は藁苞での自家製だった。
さすがに豆腐などは作っていなかったが、もちろんお米も味噌も自家製だった。
当時は貧しい食事と思っていたが、実は本当に贅沢な食生活だったなと、
今更ながらに思い出している。
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