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カテゴリ:ほぎほぎ日記
「水の精霊」横山充男<ポプラ社> ドンぴしゃりの本を紹介していただきました。 かつてこの国には漂泊の民がいて、ひとところに定住しないで旅の空を生きていたといいます。そうしたたとえばサンガや木地師、クグツと呼ばれる者たちは、自然の声を聴き、自然から恵みをいただきながら、日本の水源を移動し、ある時は道具を作り、ある時は祭りで祈り祓い、芸能の民として舞い踊り、または遊女となり流れさすらっていたようです。 それは、スサノオの追放の話や、大祓詞に登場する祓いの神々たち、特に大好きなハヤサスラ姫のはたらきを彷彿とさせるもので、この「移動する民」は、単に定住できなかった者たちが流れていた・・・というよりは、もっと強い意味があったのではないかと感じていました。 そう、強い動機で自らが選択していたり、極めて大切なお役目があったとか。たとえば、自然の中で流れを滞らせるものを取り除いて、いつも清浄なる(正常なる)場を保つはたらきとか。日本をひとつの生命体と見立てて、その中を流れる水が血液とすれば、それらを自然な流れに乗せ維持するホルモンのはたらきとか、流すエネルギーや、免疫のはたらきとか。そんな感じ。人の動き自体が大切なエネルギーの循環になっていたような。 明治になって国がガラッと変わり、戦争を経て彼らは消えていきました。 さて。「水の精霊」はファンタジーフィクションです。 舞台を四国、四万十川を中心に清めをおこなう幻の民「セゴシ」の部族を中心に物語が展開していきます。遥か昔に葦の船に乗って遠い海の彼方からこの国にやってきた「瀬越し」は、海から川の瀬をこえて渓流をたどり、山のすみずみに広がります。神であるアイ(太陽)を信仰してその声を聴き、水を命とし、心身を禊ぐことを日々の慣わしとして政治や権力を離れ、天皇や将軍にもへつらうことなく独自の集団を形成していました。 また、「セゴシ」は「背漉し」でもあります。日本の大地を貫く背骨のような山脈、そして肋骨のように枝分かれした谷筋からは清水がほとばしり、やがてそれらが合流して大きな本流となって土地を清めています。そのすべての川にセゴシが「清めのひと」として居り、命と血の源となる背骨の清浄を守っていました。ところが浄化を司るセゴシたちが、川から剥がされてしまいます。そんな、水を守り、地のけがれを清める者がいなくなったのが現代・・・そしてセゴシのもつ「清め」の力の復活を巡って物語が展開します。 物語の中で描写される清浄なる地「カムザ」はまさに聖地であり、作者の横山さんもその素晴らしい出会いや自分だけの聖地を心の中にしっかりとお持ちのようです。この物語は、そのカムザから届けられているのかも・・・とふと感じました^^ 舞台は貴船神社、鞍馬山や京都の水のすばらしい場を物語の中で巡っていきます。自分の体験や実感、目線をすり合わせながら追体験していきました。 何だか私の聖地を巡る旅も、これから少し変わっていくような気がしました。 唐突ですが、私の苗字は「川上」といいます。親類友人に水がらみの名前が多く、思えば私は結婚しても名前を変えることなくこのままでしたし、姉が「清水」姓になった時は爆笑でした^^また、けんたまさんから、音に返すと本質が見えるとのことで「川上」=「センジョウ」=「洗浄」、洗い清める役目があると指摘された時はびっくりでした。(他に「線上」「船上」「戦場」も心に響きました) そしておまけ。作者の横山さんは普段は起承転結で本を書かれるのですが、このシリーズに関しては神がかり的に降りてきたものを書かれたとか^^(なんとなく感じます)その本の中のお話ですが、日本全国のセゴシを統括する者の名が「ホギ」でした(爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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