カテゴリ:政治
小沢氏の問題は、石川議員の勾留期限が切れる明日(2月4日)に何らかの決着が見られそうだという。そこで、今日はその予想をするようなニュースがいくつか報じられていた。2月3日2時30分配信の毎日新聞では
「陸山会土地購入 小沢氏不起訴の方向で検討 東京地検」 というニュースが報じられていた。このニュースに寄れば、 「小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で、検察当局は政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を容疑不十分で不起訴処分とする方向で検討を始めた模様だ。東京地検特捜部は最高検など上級庁と協議のうえ最終判断する。小沢氏については政治資金収支報告書に記載されなかった4億円を提供するなど一定の関与は認められるものの、現時点では虚偽記載の罪に問える明確な証拠がなく、刑事責任の追及は困難との見方を強めているとみられる。」 と伝えている。一方では、2月3日6時7分配信の時事通信の記事 「小沢氏処分、きょう判断=在宅起訴か不起訴か-陸山会虚偽記載事件・東京地検」 によれば、 「小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は小沢氏の刑事処分について、3日に最終判断する方針を固めたもようだ。衆院議員石川知裕容疑者(36)らとの共謀に問えるかどうかを最高検などと協議し、小沢氏を在宅起訴するか、嫌疑不十分で不起訴処分とするかについて、結論を出すとみられる。 特捜部は、拘置期限の4日に石川容疑者や小沢氏の公設第1秘書大久保隆規容疑者(48)を起訴するとともに、小沢氏についても刑事処分するとみられる。同氏の処分方針について検察内部の意見は分かれているもようで、最終的な結論が出るのは4日にずれ込む可能性もある。」 と報じられている。一方では「刑事責任の追及は困難」と語り、もう一方では「小沢氏についても刑事処分するとみられる」と語られている。いったいどちらが信憑性のある情報なのだろうか。どちらもマスコミの流す情報であることを考えると、その情報源は検察の側にあると思える。そうすると、両方の情報が出てくるというのは、検察の側に迷いがあるということだろうか。その迷いがどこにあるのか考えてみたいと思う。 宮台真司さんに寄れば、検察と小沢氏の戦いは、論理的には小沢氏の側が負けというのが必定だという結論だった。それは、この戦いが犯罪性を争う法律の戦いではなく、世間のイメージを争う政治上の戦いになっているからだという論理だった。小沢氏がたとえ法的には潔白だとしても、ダーティーなイメージが世間に蔓延してしまえば、政治家としては影響力を失ってしまう。世論調査という茶番は、正しい判断だとは思えないが、世間のイメージが落ちているということはその結果から分かる。政治闘争としては小沢氏は負けているというのが宮台さんの評価だった。 従って、検察の方はその起訴に無理があろうとも起訴することで小沢氏の政治生命を絶つことが出来れば、対小沢という戦いにおいては勝つはずだった。どうせ法的な決着が出るのはかなり後になってからだ。その時は、世間は小沢氏のことはすっかり忘れてしまっているので、検察の横暴さも忘れられているだろう、という読みがあったはずだ。 それがここに来て迷いが見られるような報道が出されるというのは、この読みに狂いが生じてきたと言うことではないかという気がしてきた。起訴した場合に、今の時点で小沢氏のイメージは確かに落ちて、小沢氏の政治生命はここで終わりになるかもしれない。しかし、時が経っても世間がこのことを忘れないかもしれないという不安が検察の側に出てきたのではないだろうか。 僕はこの日記を3カ所に同じものをアップしているのだが、その一つのライブドアのブログで 「「小沢問題を巡る朝まで生テレビの議論 2」のコメント欄」 にtairaさんという方からもらった情報によれば 「「大竹紳士交遊録」の火曜日 2月2日山口一臣(週刊朝日編集長)】 さんのポッドキャスト」 「TBS RADIO 小島慶子 キラ☆キラ ポッドキャスト 2010年2月2日(火)上杉隆さんのポッドキャスト」 などでは、検察が違法捜査とも呼べるようなひどい捜査で、有罪を作り出すために自白を強要するような行為をしているのではないかと疑わせるようなことが報じられている。このようなやり方で、たとえ形としては有罪にしたとしても、それに正当性があるのかという疑問はいつまでも残るのではないかと思う。 大久保秘書の問題においては、大久保秘書がいかにも悪いことをしていたように報じられていたが、実際の公判においては、その報道された内容での有罪は一つもなかったらしい。これは、マスコミが積極的に報道しないので知られていないようだが、大久保秘書の事件についてもそのやり方はかなりひどいものだと感じる。 今回の小沢さんの件で、もしも同じようにひどいやり方で起訴された場合、これだけ注目されている事件を今後報道しないということはあり得ない。世間が忘れるということが期待できなくなるのではないだろうか。しかも、インターネットをはじめとして、影響力のある優れたジャーナリストがほとんど検察批判を展開している。こうなると、事実のほころびが公判を通じて出てくるようになれば、その批判は今よりさらに強まることになる。 今までは事実をほとんど隠して、検察側から流す情報だけで世論を操作できていたが、公判に入ればそのように事実を隠すわけにはいかなくなる。イメージ操作だけで政治的に闘うことが出来なくなるだろう。イメージ操作をこわさないだけの、まともな証拠がなければ公判を闘うことが出来なくなると考えたとしても不思議はない。検察の迷いというのは、まともな証拠がとうとう見つからなかったことに寄る、検察の権威そのものが完全に失墜することを恐れたということではないだろうか。 明日にならなければ、誰が起訴されるか、小沢氏が起訴されるのかは分からないだろうが、検察の側に迷いがあるのは確かだろう。どちらの判断がされるにせよ、日本の民主主義には、検察が賢い判断をすることを期待したいと思う。また、検察が賢い判断が出来なかったときは、いよいよその時には我々自身が賢くなるしかないと思わなければならないだろう。検察の判断の妥当性が納得できるような理由とともに検察の決定が報道されることを望みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.02.03 09:48:04
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